見出し画像

『ミッドサマー』へといたる道/ホラー映画 1996-2019(Part 1)

4年ほど前のことになる。ある知人の「ホラーはもう、廃れたジャンルだ」という発言を聞いたのが、この記事を書こうと思い立つ最初のきっかけになった。

当時は『IT/イット “それ”が見えたら、終わり』(2017年)のヒットもなく、アリ・アスター監督の『へレディタリー/継承』(2018年)や『ミッドサマー』(2019年)はまだ製作されておらず、デヴィッド・ロバート・ミッチェル監督の『イット・フォローズ』(2014年/日本公開は2016年)が公開されたばかり……という状況だった。だから「ホラー映画は廃れたジャンル」という認識でも、仕方がない部分はあった。だがその一方で「ホラーはこの20年くらい、ずっと娯楽映画のフロントライン(のひとつ)であり続けてるんじゃないの?」とも感じたのだった。

そのときはまだ、反射的な直感でしかなかったのだが、それから意識的にホラーやスリラーを観るようになり、そうこうしているうちに前述の『IT』あたりをきっかけにメジャー系の作品はもちろん、インディ系ホラー・ムービーが話題に上る機会も増え始めてきた。そこで一旦、この「興隆」がどこから来ているのか、振り返ってみようと思う。ただし、ホラー/スリラーというジャンルの裾野はすさまじく広いし、すべてをカバーすることは到底できない。ここではあくまで自分の興味の範囲(主にアメリカ映画)を中心に、「今のホラー映画の興隆」にいたるまでのアウトラインが示せるといいなと思う。基本的には時系列を追いかけながら、これから何回かにわけてまとめていくつもりだが、抜けている重要な作品や見落としも多い(はず)なので、識者からのご指摘をお待ちしております。

1996年という契機

始まりは1996年。……とはいえ、これはあくまでも「とりあえず」の始点でしかない。ホラー/スリラーというジャンルは、とりわけ先行作品の本歌取りからできあがっているようなところがあって、「とりたてて観るべきところのない、大量のバリエーション」がジャンルの厚み――それを豊かさといっても貧しさといっても、同じ事態を指してしまうことになるような「厚み」やダイナミズムを生み出す、そういう側面が強い。

だからこれはあくまでも、記事を書き始めるための「仮のスタート地点」でしかないし、これから出てくる作品に関しても、必要に応じて先行作品に言及することになる。とはいえ、1996年はいくつかの点で画期をなす作品が発表された年ではある。

ここではとりあえず、1996年に公開された3本の映画――『スクリーム』と『フロム・ダスク・ティル・ドーン』、そして『女優霊』を見ていく。

『スクリーム』という発明

ムンクの「叫び」を模したマスクを被った謎の人物が次々と人々を手にかけ、恐怖に陥れる……という内容の『スクリーム』(1996年/日本公開は1997年)。『エルム街の悪夢』(1984年)のヒットで知られるウェス・クレイヴン監督が手掛けたこの映画の冒頭、当時、キャリアの危機に立たされていたドリュー・バリモアの惨殺シーンがあまりにも素晴らしく、これを機に「スラッシャー映画(※連続殺人鬼をモチーフにした作品群)」が息を吹き返すことになった。そして「スラッシャー映画の復活」以外でも、『スクリーム』はいくつかの点において画期的だった。

まずひとつは、ジャンル意識の強い自己言及的な作品だったこと。作中人物のひとりとして登場するランディは、レンタルビデオ店で働く、大のホラーマニアという設定で、物語は彼の語る「スプラッター映画あるある」に準じつつ、ときにそれを裏切るような展開も見せる。

こんな具合に観客にジャンルを規定する「枠組み(ホラーあるある)」を意識させつつ、それをヒネる構造――ある種のパロディ――は、それこそ70~80年代のホラー作品群が作品をつくる際の「参照元」になったという事態、その反映でもある。その代表的なフィルムメイカーといえば、やはり1992年に『レザボア・ドッグス』で監督デビューしたクエンティン・タランティーノだろうだろうが、彼についてはまた後ほど触れることにして、いずれにしろこうした「パロディ意識」は、多かれ少なかれ、ジャンルムービーにつきものではある。そして、こうした「ジャンルに対する自意識」は、例えば2009年に公開された『ゾンビランド』(ルーベン・フライシャー監督、レット・リース&ポール・ウィニック脚本)や『ハッピー・デス・デイ』(2017年/クリストファー・B・ランドン監督)、あるいはセス・グレアム=スミスの著書『ホラー映画で殺されない方法』(と、彼が制作に参加した映画『リンカーン/秘密の書』(2012年/脚本・製作)、『高慢と偏見とゾンビ』(2016年/製作))のように、「メタホラー」(?)ないしは「ホラーと他ジャンルのミックス」への傾倒とでもいえるような流れを形作っていくことになる。

ちなみに、ウェス・クレイヴンが『スクリーム』の前に撮った『エルム街』シリーズの番外編『エルム街の悪夢 ザ・リアルナイトメア』(1994年)は、ウェス・クレイヴン自身が演じる映画監督が、『エルム街』第1作のリメイク企画に着手。キャストを集め、脚本を書き始めると、その通りのことが周囲に起き始める……という、一種のメタフィクションになっている。たぶんクレイヴン自身、そういう「パロディ意識」が強い演出家なのだろう(そもそもデビュー作の『鮮血の美学』(1972年)も、イングマール・ベルイマン『処女の泉』の、陰惨な本歌取りという趣きだった)。

ふたつ目は「青春映画としてのホラー」という鉱脈を掘り当てたこと。もともとホラーは、若者向けとして作られることが多く、ティーンエイジャーを主役に据えるケースがままある。例えば、スラッシャー映画の古典『ハロウィン』(1978年/ジョン・カーペンター監督)の"スクリーム・クイーン"、ジェイミー・リー・カーティスを主演に迎え、プロムの夜に起きる惨劇を描いた『プロムナイト』(1980年)のような先行作品が存在しており、そういう意味で下地はすでにできていたわけだが、『スクリーム』はそこに学園モノ的なテイスト――恋愛やスクールカーストといった、思春期特有のトピックを盛り込み、強調することで、ひとつの画期となった。

ここで大きな役割を果たしたのは、やはり脚本家のケヴィン・ウィリアムスンだろう。彼は『スクリーム』の成功の後、事故で誤って男を轢いてしまった高校生たちが、1年後の同じ夏、何者かに命を狙われるスラッシャー映画『ラストサマー』(1997年)の脚本を担当し、さらには大学進学のためにスカラシップの獲得を目指す女子高生と、陰湿な女教師の攻防をブラックユーモアたっぷりに描く『鬼教師ミセス・ティングル』(1999年)で監督に進出する。また、いじめられっ子の高校生が寄生生物をめぐる騒動に巻き込まれるSFスリラー『パラサイト』(1998年)では、後述する『フロム・ダスク・ティル・ドーン』(1996年)の監督、ロバート・ロドリゲスとタッグを組むことになる。

さて、この「青春映画+ホラー」という方向性でいえば、『スクリーム』と同じ1996年の『ザ・クラフト』(アンドリュー・フレミング監督。公開自体は『スクリーム』よりも半年ほど早い)の存在も大きい。『スクリーム』の主演、ネーヴ・キャンベルが主要登場人物のひとりとして出演する『ザ・クラフト』は、転校生が黒魔術に興味を抱く同級生たちとともに、魔術を使って問題を解決していく……という一種の学園オカルト物。同じくネーヴ・キャンベルが出演しているということでいえば、1998年公開の『ワイルドシングス』(ジョン・マクノートン監督)あたりも――厳密にはホラーというよりはサスペンス映画だろうが、その流れを汲んでいるといえる。

とはいえ、この路線の最大のヒットはたぶん、1997年からオンエアされたテレビシリーズ『バフィー/恋する十字架』だろうと思う。もともとは1992年に公開された映画『バッフィ・ザ・バンパイアキラー』をもとに、テレビドラマ化された続編だが、好評により2003年まで続く人気シリーズになり、スピンオフ作品の『エンジェル』も製作された(1999~2004年)。またショーランナーのジョス・ウィードン(『アベンジャーズ』)は、2012年に山小屋版『キューブ』といった趣きの『キャビン』の製作・脚本を手掛けることになる。この『キャビン』の監督を務めたのは、同じく『バフィー』の参加スタッフのひとり、ドリュー・ゴダードだが、その後のSF/ホラーシリーズ(映画も含む)を手掛けるスタッフが多数参加していたという点でも、『バフィー』シリーズの果たした役割は大きい。

マニアによるマニアのためのホラー映画
『フロム・ダスク・ティル・ドーン』

過去の作品(なかでもホラーやSF、アクションといった娯楽作品)を自在に引用しながら、自分たちの「映画」を作ろうと目論む――いわば「ビデオ世代」とでも言える演出家・脚本家が次々と出てきたのが、90年代に入ったあたりから。その代表格は前述の通り、レンタルビデオ店で働いていた経験もある生粋の娯楽映画マニア、クエンティン・タランティーノだろう。

そのタランティーノが脚本(と出演)を手掛けた『フロム・ダスク・ティル・ドーン』も、1996年公開作品。監督は、ケレン味たっぷりの舞台&キャラクター設定も魅力的な低予算アクション『エル・マリアッチ』(1992年)で、一躍注目を集めたロバート・ロドリゲス。シリアスなギャングアクション風に始まりつつ、途中から(タイトルが示唆するように)吸血鬼をめぐる一大スプラッタに展開してしまう……という荒唐無稽は、じつにタランティーノ&ロドリゲスのコンビらしい。

この後、ロドリゲスは『スパイキッズ』シリーズや『マチェーテ』など、ユーモア感覚あふれるアクション映画を撮る傍ら、先述の『パラサイト』を監督するなど、精力的にジャンル映画を手掛けることになる。またタランティーノもまた、70年代のブラック・エクスプロイテーション映画にオマージュを捧げた『ジャッキー・ブラウン』(1997年)、カンフー映画と任侠映画が思わぬ形で合体する『キル・ビル』二部作(2003~04年)と、コンスタントに話題作を送り出していく。

その2人が再びタッグを組むのが、2007年に公開されたオムニバス映画『グラインドハウス』で、ここにはイーライ・ロスやエドガー・ライトといった、気鋭の若手が参加することになる……のだが、こちらはまた後で触れることにしたい。

Jホラーの波

「日本発のホラー映画の新しい波」が広く認知されるようになったきっかけは、その後もホラー作品を数多く手がけることになるプロデューサー・一瀬隆重が製作に関わり、鈴木光司の小説を原作とした『リング』(1998年)だろうが、この作品の大ヒットに繋がる下地はその前から準備されつつあった。

その代表格といえるのが、1996年に公開された『女優霊』。映画スタジオという特異な空間を舞台に、新人女優が怪奇現象に巻き込まれる……という『女優霊』は、のちに『リング』で再び手を組む、中田秀夫監督と脚本家・高橋洋コンビによる秀作(『女優霊』で主要人物である映画監督を演じた柳ユーレイは、そのまま『リング』にも主人公・玲子の同僚でアシスタントディレクターという役どころで出演している)。また、心霊写真や都市伝説、実話ホラーといったモチーフをヒントに、海外勢とは違う方法論を試行錯誤した作品といえば、鶴田法男監督の先駆的なオリジナルビデオ『ほんとにあった怖い話』(1991~92年)も忘れるわけにはいかない。

ここでの試みはひとまず「いかにして幽霊を、恐ろしく撮ることができるか」という問題設定に集約できる。フィルムに写り込んだ謎の白い影や、ありえないところに浮かぶ正体不明の何か――これらの先行作品で試された工夫と試行錯誤をもとに、再び中田監督と高橋洋コンビによる『リング』が制作され、そしてJホラーブームが始まりを告げることになる。

『リング』は公開当時、同じ鈴木光司原作の『らせん』と同時上映だったのだが、ストーリーも原作に準じ、またショック表現なども従来のホラー映画の延長線上にあった『らせん』と比べて、『リング』の「新しさ」は圧倒的だった。特にその中核をなす、見た人は1週間後に死にいたるという「呪いのビデオ」の禍々しさは、今観ても大きなインパクトを残す。興行的にも好成績を収めた『リング』は、その後、原作を離れてオリジナル展開を見せる『リング2』(1999年)、鶴田法男を監督に迎え、より怪奇映画風に仕上がったプリクエル『リング0 バースデイ』(2000年)とシリーズ化し、また2002年にはゴア・ヴァービンスキー監督、ナオミ・ワッツ主演により、アメリカでリメイク版『ザ・リング』が制作された。

このリメイク版をきっかけにアメリカでは、日本や香港、タイといったアジア発のホラー作品のリメイクが続々と制作されることになる。その最大の成果はやはり『THE JUON/呪怨』(2004年)だろう。もともとは2000年にオリジナルビデオとして発売され、2003年に改めて劇場作品として制作された清水祟監督の『呪怨』は、Jホラーというくくりで見れば、その最後尾にあたる作品といってもいい。しかしこのリメイク版は『死霊のはらわた』『キャプテン・スーパーマーケット』(前者は1981年、後者は1993年)で知られるベテラン、サム・ライミがプロデュースを手掛け、彼がホラーというジャンルに帰還するきっかけを作ったように思える。その意味でも『THE JUON/呪怨』の存在は大きいのだが、2000年代中盤以降のサム・ライミの仕事については、また別に項目を設けようと思う。

またこのブームから派生して注目すべきなのは、『学校の怪談』シリーズへの参加など、Jホラーブームの一翼を担っていた黒沢清監督の仕事だろう。黒沢はもともと『スウィートホーム』(1989年)や『地獄の警備員』(1992年)など、ユニークなジャンル映画を手掛けていた演出家だが、Jホラーブームの余波の中で、サイコキラー・サスペンスから思わぬ恐怖の古層へと到達する『CURE』(1997年)を発表。さらにはネットワークを介して、幽霊たちが侵食していく世界を描いた『回路』(2001年/ちなみにアリ・アスター監督の『ミッドサマー』で最もショッキングなシーンは、この映画の有名な場面を下敷きにしていると思われる)、湖のそばに建つ洋館で繰り広げられる怪奇譚『LOFT』(2005年)など、ジャンル映画の「枠」を軽々と踏み越える、独自の作品群を送り出し続けている。

ゾンビというモチーフ

1996年という「画期」を振り返るにあたって、最後に映像作品から離れて、1本のテレビゲームを取り上げたい。

1996年にカプコンから発売された『バイオハザード』(PlayStation)は間違いなく、この年を代表するヒット作の1本になった。ゾンビの群れに襲われた洋館を舞台に、決死の攻防戦が繰り広げられるこのゲームは、当初はさほど注目を集めることはなかったが、口コミをベースに意外な広がりを見せ、最終的には100万本を超えるヒットを記録(全世界では275万本)。その後も続編・関連作が作られ続ける、人気シリーズへと成長した。

この原作ゲームをもとに、2002年には映画『バイオハザード』(ポール・W・S・アンダーソン監督)が発表され、こちらもシリーズ化されるが、しかしそれよりも「ゾンビ」という怪物に、再びスポットライトが当てられたことが、一層重要だと思う。

もちろん『バイオハザード』のヒットとは関係なく、「ゾンビ映画の元祖」ともいえるジョージ・A・ロメロ監督の『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』以来、無数のゾンビ映画が製作されてはいる。しかし『バイオハザード』(そのコンセプトと映像表現)が示唆したのは、ショック表現よりも、むしろアクション性にこそ「ゾンビ物」のコアがあるのではないか、という発見だった。「人が人でないものに変わってしまう」という恐怖と、「人に似た怪物が人を襲う」という活劇の面白さ。そのふたつがクロスしたところに、「ゾンビ」の魅力があるのではないか、と。

事実、80年代のホラーブームと比べると製作本数が減り始めていたゾンビ映画は、2000年代に入るあたりから数が急増し始める。主な作品でいえば、2002年にはダニー・ボイル監督の『28日後...』とその続編の『28週後...』(2007年)、2004年にはザック・スナイダー監督による『ゾンビ』のリメイク『ドーン・オブ・ザ・デッド』と、先ほど触れたエドガー・ライト監督のホラー・コメディ『ショーン・オブ・ザ・デッド』、2007年にはゾンビ映画を疑似ドキュメンタリーと合体させた『REC/レック』(ジャウマ・バラゲロ&パコ・プラサ監督)、ロバート・ロドリゲス監督の『プラネット・テラー』など、枚挙にいとまがない。

また2010年代に入ると、ゾンビと人間の悲恋(?)を描いたラブコメディ『ウォーム・ボディーズ』(2013年/ジョナサン・レヴィン監督)、ゾンビに埋め尽くされた終末世界を舞台にした『ワールド・ウォーZ』(2013年/マーク・フォースター監督。脚本に先述のドリュー・ゴダードが参加)、墓から蘇った恋人に振り回されるオフビートなゾンビコメディ『ライフ・アフター・ベス』(2014年/ジェフ・ベイナ監督)、こちらも前述のセス・グレアム=スミスの原作をもとにした『高慢と偏見とゾンビ』など、変わり種が増え始める。

なによりインパクトが大きかったのは、同名のコミックを原作に2010年から放映されているテレビシリーズ『ウォーキング・デッド』だろう。この大人気シリーズには、製作総指揮として『ショーシャンクの空に』(1994年)や『グリーンマイル』(1999年)、『ミスト』(2007年)といったスティーブン・キング原作作品の映像化を手掛け、また『ブロブ/宇宙からの不明物体』(1988年)、『ザ・フライ2 二世誕生』(1988年)といった諸作で脚本を担当したフランク・ダラボンが関わっている。

いずれにしろ「ゾンビ」の存在が触媒となって、にわかに「活劇としてのホラー」が脚光が浴びるようになる――ゲーム『バイオハザード』は、その着火点になったのではないかと思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?