見出し画像

笑ってはいけない

 文學界の1月号が「笑ってはいけない?」という特集で、それでもう年の瀬なのだと思う。大晦日になると毎年「絶対に笑ってはいけない〜〜」という番組が放映されていて、我が家は31日の夜は紅白歌合戦派なのだけれども、何年かに一度、録画して年始に視聴していた。

 文學界の特集は「笑ってはいけない?」という題ではあったが、実際のところは「笑い」について各方面の人たちが創作をしたり、エッセイを書いたり、対談をしたりといった内容で、必ずしも「笑ってはいけない」ことについて扱っているわけではないように思われた。題は後付けなのかもしれない。

 いっぽうで、千葉雅也さんの「最初のブラックジョーク」というエッセイは、千葉さんが幼少期のときに言った「笑ってはいけない」冗談から論が展開されていて面白く、特集の題にも沿っているのだけれども、これを読んでいて改めて「笑ってはいけない」とはどういうことなのだろうと連想が発展した。

 そもそも「絶対に笑ってはいけない〜〜」というあの番組は、どうして笑ってはいけないのだっけと思い出そうとして、たしか、電車のなかだったり、病院だったり、なにか日常性のある、笑ったりしたら奇妙な雰囲気に(場合によっては不謹慎に)なってしまう場が設定されており、しかしそこに明らかに様子のおかしい人が登場して、ヘンなことを言ったりするので、「笑ってはいけない」のに笑ってしまう、という状況が発生し、それが面白い、ということだったように思う。

 さらにいえば、「笑ってはいけないのに笑ってしまう」というシチュエーションは、日々の生活のなかでときどきあって、その面白さを局所的に切り取って極限まで拡張し、無限連鎖させることで、あのように面白い番組になっているのだと思った。

 私にとっての「笑ってはいけない」シチュエーションといえば、日々の診療である。当たり前なのだが、相手は患者さんであり、身体的に、精神的にダメージを負って外来にやってきたり、入院をしているわけで、これを笑ってはいけない。

 しかし、診療中全く笑っていないかといえば、そういうわけでもなく、まあまあ笑っている気がしていて、それがいつどういう瞬間に笑っているのか、というのがどうも思い出せない。

 たとえば場の雰囲気にそぐわない奇天烈な言動をしたり、ヘンな格好をしたりする人は精神科の診察室には当然いるわけだが、これをみて笑うということは通常ない。疾患に侵されているために、症状として奇妙にみえる振る舞いをしていると判断するからである。

 そこではそもそも、「笑ってはいけない」という我慢すら発生しない。私の頭のなかでは、その奇妙な振る舞いが、どのような原因で生じているか、MRIを撮像したほうがよいか、入院は必要そうか、といった医療の文脈でしか解釈されないためである。

 ではいつ笑っているのだろうと考えを巡らすと、何パターンかおそらくあって、①こちらが雰囲気を相手に合わせているとき、②笑わせるという形でコミュニケーションを相手が図るとき、③自然に友達のような雰囲気になってしまっているとき、あたりを今思いついた。

 ①「こちらが雰囲気を相手に合わせているとき」というのは、特性の問題かもしれないが、私は話をしていると相手の雰囲気にこちらの調子を自然に合わせてしまう傾向がある。たとえば怒っている人と話していると、怖いなと思ってとりなすように調子を合わせたりするし、児戯的な態度の人と話していると自然に児童に接するような口調になってしまう。

 多かれ少なかれ、そういうことは皆あると思うのだが、雰囲気を合わせていると、相手が面白いことを言いそうな雰囲気、というか、今のは面白い話だぞ、という雰囲気で話すことがあって、私は無意識にそれをキャッチして、ははは、とつい反射で笑ってしまう。

 しかし、ときにそれは自虐のニュアンスのあるオモシロ話で、本人はオモシロ話として語って良いが、周りは笑ってはいけない、みたいなやつであったりする。そういうときは、ははは、と反射で笑う最初の「は」あたりで、脳内でこれは笑ってはいけないやつだと認識し、笑いそうになったけれども厳粛な顔になる、といった調子になる。

 ②「笑わせるという形でコミュニケーションを相手が図る」というのは難しい話で、これは相手の話が面白くて本当に笑ってしまい、その場の雰囲気も友好的なのだが、後でカルテの文字を読んでみると何一つ面白くない内容であって、どうしてこれに笑ったのか全く分からないというような状況に当てはまる。

 その瞬間は、確かに面白いことを言っていた気がするし、相手も面白いことを言ったというような調子で振る舞っているのだが、実は別に面白い内容ではないのである。つまり、雰囲気だけで笑わせたということであり、これは、笑わせることで場の空気を和ませたり、親密になったりする、という方法でコミュニケーションを図る、というやり方が、本人の癖というか生き延びるための知恵みたいにして獲得されてきたような人に多い。何を言っても面白い人、話す前から面白い人というのがいるが、こういう人も似たところがあるのかもしれない。

 それから③「自然に友達のような雰囲気になってしまっている」というのも話は似ていて、要は診察室で、医者と患者なのに友達のような雰囲気になっているということである。友達であれば、話を聞いて笑うということはふつうにある。付き合いの長い人であれば、ある程度親密な空気感というものはあるが、友達のようには通常ならない。

 これもどんな人でも「友達の距離」に詰めてコミュニケーションを図ることでしか、人と上手に関わることができないというその人なりの親密性にまつわる歴史があったりすることが多い。

 では、私はそういう人たちを前にしたとき、果たして「笑ってはいけない」のか、と考えると、そういうことでは別にないと思う。どうして笑ってしまったのか、というところから、私と相手とのあいだに何が起きていたのかを考えていき、治療に繋げていくということが大切なのだろう。

 「笑ってはいけない?」特集の感想を書こうと思っていたら、いつのまにか「笑ってはいけない」を題材に文章を書いてしまっていた。今年の大晦日は久々に「絶対に笑ってはいけない〜〜」を視聴しようかなと思って検索したところ、知らぬ間にシリーズは終了していて、今年は別の番組を放映するそうである。歳歳年年人同じからず。とはいえ今年も紅白歌合戦を視聴し、ジャニーズの方達を画面に拝みつつ年を越すことになりそうである。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?