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2 | 途上国の人々と"現場"で働く上で大切だと思うこと。

私が教育系NPOのインターンとして、ここフィリピンのカミギン島に来たのは、2019年3月終わりのこと。

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ここに来るまでは、「教育インターンをしていて、"現場"で働くことの意味を感じさせられるってなるとやっぱり教育現場で感じることが一番印象に残るんだろうなぁ」と思いこんでいた。

が、

その"現地の人と現場"で働くことを身に染みて、経験をしたことの代表例としてあげたいのは、

現地でのオフィスリノベーションの工事進捗監督の経験である。

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この場所で、新しい事業を立ち上げるための箱となるオフィスのリノベーション。

オフィスリノベーションといっても、

初めは、未だに使われている鳥の巣があって、なぜかハンモックがかかっていて、人が違法で寝ていて、床タイルの張り替えが必要で、オフィス構図も全く違う、、、

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朽ち果てたような状態のオフィスを、イケてるモダンなオフィスに改築しよう!

という大規模なリノベーション工事であった。

7月の頭にイベントを控えており、そこが完成のデッドラインであった。

監督として[?] フィリピンの超田舎で工事を進めていく過程を経て、特に異文化の中で周りを動かすために有効だと思った気づきがある。

大きく分けて3つ+最終手段を挙げたいと思う。


1: 相手の存在を大切に思っているということを行動で見せ示す


これは一番重要だと感じた。

人間誰しも、自分のことをあまり好いていない人に対して、めちゃくちゃ好感を持つ事は難しい。

裏を返すと、自分に好感を持っている人に対しては、この人のためだったら何かやってあげてもいいと思えるものだと思う。

そう考えた私は、毎日働いてくれている働き手のメンバーの一人一人の名前を覚え、工事現場の人々としてではなく、Wak, Raul, Juniorなど1人の個人として相手と接するように心がけた。

工事も自分が出来そうな作業を探して一緒にやった。(お陰様でコンクリートを使った床タイル貼り、コンクリート壁塗り作業の手順はマスター笑)

なんで私はフィリピンのカミギン島でタイル張りをしているんだろう」と思う時もあったけれど

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より同じ目線でプロフェッショナルの彼らからやり方を学び、一緒に工事現場でお昼ご飯を食べ、彼らと話をすることで、少しずつ距離を縮めることができるということを確実に肌で感じた。

そういった地道なことを続けていく中で、街で出会っても「おっすー!」と挨拶して話をしたり、先述したフィエスタでお家に招いてもらったりするようになった。

工事が始まった序盤に書いた、応援のホワイトボードは、時をたつごとにだんだんと落書きが追加されていった。それをみては、彼らとの距離が縮まっている気がして嬉しかったりしたのだった。

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もし私が大学生21歳の若造では無く、威厳も経験もある人だったらまた別のアプローチがあったのかもしれない。

だが、働き手との関係性を築く上で、これが今の自分自身にできた最大限且つ一番有効な方法の1つだったと思う。


2: 相手の優先順位を理解する

人間誰しも物事に対して、無意識的に自分なりの優先順位を持っていると思う。

それはきっと生まれ育った環境、文化、家庭によっても大きく左右されるだろう。

フィリピン・カミギン島には、フィエスタと呼ばれるお祭りがある。


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フィエスタの日は、友達や親戚などを招いて複数種類の料理を振る舞い、一緒に時間を過ごす。

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そんなフィエスタなのだが、自分の住む地域でそのお祭りがある日は、もちろん、みんな仕事に来ない。

友達や親戚が住んでいる(ちなみにここの島の人たち8人兄弟くらいがアベレージ)地域でフィエスタがあっても、約束があればそこに駆けつける

人と人との繋がりが深いことの表れであり、本当に素敵なイベントであることは間違いない。

しかし、スケジュール通り工程を進め、日本側から設定されたデッドラインまでに工事を終わらせるためにも、働いて欲しい現場監督の私()は 

「いやぁまじかい、あなた達!仕事はどうした、仕事!」となっていた訳である。

平日毎日リノベーションの現場に通っても、働いている人が全然いない、午後から帰る、もともと昼休み→昼寝の時間が長く作業は進まない。

そんな中、彼らの祭りに対する価値観を痛感させられた言葉がこちら。

「そりゃ、あんた自分の地域のフィエスタの日には仕事なんて行ってる暇なんてないよ。お祝いの準備で忙しいし来てくれた人をもてなさなきゃいけないんだから」

なるほど。納得だ。

私自身が今まで生きてきた環境とは、お祭りの優先順位がまるで違う

特にこの島の文脈は、カトリックの影響を強く受けていることもあって、宗教的イベントに対する熱量がすごい。

仕事休んで祭りの準備をするだなんて、なんて不真面目な人たちだろう」なのではなく、祭りという一大イベント対しての思入れが深く、彼らの中での祭りの優先順位は圧倒的に高いのだということに気がついた。

その時に、フィエスタの度に仕事場から居なくなる働き手の人々を責めるのは、"完全なるこちら側のエゴ" なのかもしれないということに気がついたのだった。

仕事上の話で、どこまでを強制するかは双方の譲歩次第だと思う。

でも、私がいた根強く地域のお祭りが行われるカミギン島の文脈で考えた時には、「この日は〇〇さんがフィエスタに行くなら、今日はここまで終わらせられるといいですね」と、彼らの優先順位を十分に理解した上で工事を進める提案をする方が、現実的だということがわかったのだった。


3: 質問して、相手に考えさせて、相手の口から答えを出す


とはいっても、日本側から提示されたデッドラインが決まっているからこそ、どうやってその時期を意識してもらうかが肝である。

その中で私が考えた秘策がこれ。

質問を投げかけて、相手の口から「誰がいつまでに何をするのか」を言ってもらうというもの。

相手はもちろんプロだから、私よりも1つの作業にかかる時間だったりを分かっているし、そこにプライドもあると思う。

そのプライドを十分に意識した上で、全体のスケジュールとして、なぜその日までに終わらさなければならないのかを説明する。

そして、小さな過程をどう終わらせていくのか緻密に相談をするのだ。

「この作業をやっている時に同時並行でこちらの作業ができるのか?」

「1つの工程には1人やれば1日にどれだけ進むのか」

そういったプロフェッショナルしか分からないようなことを聞いて、そのスケジュールに間に合わせるためには、○どのスキルを持ったメンバーを投入して、○何人の働き手が必要で、○どのくらいの時間働くべきなのか、相手側に答えてもらう。

そうやって考えてもらって、自分の口から発したことは、「相手にお願いします」と言われたことよりも、効力を発揮していたようだった。


最終手段: 一番の権力者の力に頼る


どの場所でも通じる手段だとは思うが、この小さな島の文脈で特にそうだった。

やはり最後は1番の権力者から「やれ!」と言われるのが手っ取り早いのだが、これは使いどきをかなり慎重に見計らわなければならない。

本当に限界で、鶴の一声がない限り無理だと判断できる状態でなければ使える手段では中ので最後の砦として使うのがこれである。

普段からできることとしては、この手段を使いたい時に使えるように関係性を築いておくことだと思う。


最後に

いかがだったでしょう。 以上3点、最終手段。

偉そうに語ってしまいましたが、言葉で言うのは簡単だけれど実践するとなると難しい。。。

結果だけを言うと、もともと事前に現地のエンジニアと決めた工事スケジュールはもちろん最終的には後にずれ込み、ギリギリとなったが、沢山の人のサポート・奮闘の末になんとかオフィスはデッドラインまでに形にはなった。

途上国で工事の監督を、日本企業との間に挟まれながらことをさせてもらえることなんて、なっかなかないだろうなぁ。本当に大感謝である。

また、異文化の中での文脈だけでなく、これから社会人になって仕事をしていく上でも「相手とのコミュニケーションや理解が重要」になるという基本的な部分は共通項なのかもしれないと感じた経験であった。











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