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ワタシが離婚するまでー2ー

結局、全夫に義理母に来るように伝えた。それなりにかわいいと娘を抱いた。
出産経験のある義理母は、シュークリーム五個を手土産に持ってきたことは、センセーショナルでもあった。

帝王切開で12日間入院した後、私の母が産院まで来てくれた。母子別室にしたのは、これから続く母として少しでも休むための得策だった。

退院後、ひとり親の先輩でもある母は三日間滞在して滅多に旅にでない観光に興じるよう、遊びに行ってもらったり、前夫とご飯を食べに行ってもらった。

その後、穏やかに見える小さな家族の短い日々が始まる

タクシーの運転手である前夫は、娘といることで寝れないも訴えた。必要以上に。

「君は育休なのだから」といつでも寝れるだろう。

3時間ごとの授乳は、覚悟していたが過酷でもあった。併せて、前夫のお弁当二つ。

生後3か月を過ぎるころには、オムツをたまに帰ることを嫌がった。この人には協力してやってるという意識しかなかった。

軒並み、売上は下がり口論が増えていった。

家族で京都に戻ったり、私の友人は来てくれたが
友人のいない全夫の友人は誰一人来なかった。

まだ、思えばこの頃はそれなり幸せだと言うことを私たちは知らなかった。

私は生後1か月に満たない娘を抱えて、一週間で色彩検定三級を取得したり、webのフリーランスの仕事もこなしていった。

そこから、前夫も私も苛立ちをどこにぶつけていいのか。機能性不全育ち同士には、「家族」という正解のないものに追い詰められて行った。

そして、娘が生後8か月のある夜。
アルコール依存性で入退院を繰り返していた
全夫が豹変する。

ー続くー

なんでも嬉しいお年頃です!よろしくお願いいたします🙇