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創作の糧(皆様の気になった記事を紹介)

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ライティングや創作のヒントになるような記事。特に再読したい記事をスクラップしています。素晴らしい記事を集めています。ご参考になれば幸いです。
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#詩人

詩人(特に俳人)必読書。高濱虚子‐並に周囲の作者達‐(水原秋櫻子著)を読んで

 当然のことだが、歴史に名を残すような大人物にも、弱く、苦悩し、葛藤をした若き時代が、人生の中には必ずある。そのことを小生らは忘れてしまいがちで、大人物は昔から大人物であるかのように錯覚してしまう。  水原秋櫻子(みずはらしゅうおうし)。虚子と並び立つ俳句界の巨星にも、若く苦悩した日々があった。  師である高浜虚子への尊敬と次第に顕になる俳句観の相違。志を共にした友との決別。  全国最大の俳句結社ホトトギスの中心的人物の離反と、馬酔木(あしび)という新興俳句の先駆けとな

大人げのない文人たち

 文章が人格をあらわすとすれば、書き表したものは年相応の経験が反映されて然るべきだ。若書きという言葉があるように、若い頃は思いが表現に先行して筆が滑りがちになる。私自身、若いころは論理性のかけらもない、わけのわからない文章ばかり勢いで書いていた。若い芸術家であれば舌鋒鋭く、感性を思うがままにぶつけることができる。しかし、尖ったロックミュージシャンも、中年壮年になればたいがい、やさしく丸い音、愁いを帯びた歌詞に変わってくるものだ(多少の例外はあるだろう)。同じように、ものを書く

詩人の友情

 萩原朔太郎に「本質的な文学者」という短文がある。これは梶井基次郎(1901~1932年)の文学的才能を朔太郎が讃えたものだ。朔太郎は『檸檬』を読んで文学の実在観念を発見したというほどの衝撃を受けた。この文章は基次郎の死後である昭和10年(1935年)頃に書かれ、梶井基次郎の死を改めて惜しみつつ、基次郎が夭折することがなければ、ドストエフスキーのような大作家かポーのような詩人になったに違いないと述べている。そして、この短文の末尾には、梶井基次郎という人付き合いの悪い芸術的天才