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俳句は、現実を”ありのまま”に書くことのみが正しいだろうか。 例えば暑い季節、山中へ赴き、一本の滝を目の前にしたとする。水しぶきや滝の巻き起こす風が涼しいだろう。岩には青々とした苔が繁茂し、天は緑の木々に覆われている。 この景を俳句にしたい。滝、苔、木々、風も水しぶきもすべて込めた句にしたいと思うのが人である。しかし、およそ俳句は一点に絞ったほうがいいらしい。五七五のわずか十七音にいろいろと盛り込むのは難しいからだ。焦点がぼやけて、何が言いたいのか分からなくなってしまっ
ボードレールは、「詩人が一人の批評家を含まないことは不可能だ。私は本能にのみ導かれる詩人たちを憐れむ。私は彼らを不完全なものと思うのだ」と言葉をのこしたし、「哲学について勉強するのではなく、自分で哲学しようとすれば、哲学でも芸術論でも同じことだ。丁度、あなたが彫刻を作るのと同じだ。それは、哲学論文風にではなく、詩のようにしか表現出来ないものだ。ぼくら文筆家にとって、言葉は粘土のようなものだ。それをこねあげて、真実に迫る。それは詩人の仕事です」と矢内原伊作が言うと、ジャコメッテ
未来9月号、届きました。 今月は8首掲載していただきました。 ありがとうございます。 冒険して作った歌も掲載してもらえてうれしいです。。。 すこしずつ麻酔が効いてゆく午後のくちびるうまく好きといえない 透明なゼリーのなかに差し込んだスプーンがいま本音にふれる すこしずつ麻酔が切れていく夜に歯ぐきのにぶい痛みはわたし 抜歯後の痛みのように慣れていくはずだったのにまだ泣いている 人参をぶらさげられて走り出すみたいに電車に乗ってしまった 人参の漢字は人妻に似てるねえ