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なぜ「学校」に行くのか

その日は息子の持久走の日で、私は朝からなんだかソワソワしていた。
息子の通う高校は“マラソン大会”なるクソかったるいものが毎年この真冬の時期に行われる。
高校生にもなる子の、持久走ごときでなにをそんなに心配するのかと呆れられそうだが、今回の走行距離は彼にとって未知の世界である6キロ。しかも走る場所は、2つの県にまたがる広大な敷地を誇る公園の外周だ。かなりの彼だけでなく、ほとんどの生徒たちにとって初めて走るコースで、小高い丘に位置するために、かなりのアップダウンがある。

走る距離やコースもさることながら、私が心配していたのは当日の天候だ。
もちろん1週間前から“週間天気予報”を何度もチェックし(←アホ)、雨はふらなそうだけれど、気温はどうだろう?と気にしていたところ、大会の前々日の連絡メール(最近では保護者への手紙は全てメール。わずらわしい紙が無いのは良いけれど、見落としたらアウトですね💦)の内容に、私の目は釘付けになった!!

当日の服装:体操服(半袖)と短パン

いつも衣替えギリギリの時期まで体操服のジャージ上下(長袖長パンツ)を着ている息子が、極寒の冬山(←大げさ)をあんなぺらっぺらの半袖短パンで、6キロも走りきることができるのか!?!?

翌朝職場に付くと、私は真っ先にM先生をつかまえて「半袖短パンで走るの?どーしよー!?」と泣きついた。幸いなことに、私の職場(中学校)には息子と同じ高校に通う子を持つ先輩ママ=M先生がいる。入学以前から、「スクールコートは高いから買わない方がいいよー」とか、「革靴は特に指定は無いから、学校で販売されているものよりも、○○靴店の方が革が柔らかくて足が痛くならないよー」などなど、連絡メールでは得られない情報をくれる、ありがたーい存在なのである。
動揺している私にM先生は「そうなのよ。しかもあの公園、山の中だから寒くてさー、下界と2℃くらい温度差があるのよね~……」とのんびり。
「半袖短パンじゃ寒くない?絶対寒いよね?ね??」と私が畳みかけるように言うと、「そうだね~うちの子はそのまま走っちゃうけど、アンダーシャツとかアンダーパンツ履いている子が多いみたいよ。」
そうか!その手があったか!私は早速帰りに近所のスーパーへ寄った。本当ならスポーツ用品店とかオンラインストアなどで、ヒートテックや速乾性のある、その手のものを買いたかったけれど、仕事帰りでただでさえ時間がないうえに、マラソン大会は明日だから致し方無い。食料品をメインとするそのスーパーの片隅に、申し訳なさ程度に置いてある洋服売り場へ行った。ラッキーにも冬物が3割引き!となっており、私はなんかそれっぽいアンダーシャツ&パンツを買った。

帰宅して、よくよく学校からの連絡メールを再読してみたら、「アンダーシャツ&パンツ、手袋、ネックウォーマーなどの防寒着の着用を認める云々」と書いてあるではないか。当の息子は「えーこんなの着るの?」とイヤそうにしていたけれど、当日の朝の気温は1℃に怖気づいたのか、制服の下に着込んでからマラソン会場の山奥へと出発していった。(これに関しても、現地まで電車3本乗り継いで行けるのか?とヤキモキしていた私……←アホ)

一方の私はと言えば、幸か不幸か職場に着いてしまえばそんなことを気にするヒマもなく駆けずり回り、気付いたらお昼過ぎ、もうマラソン大会が終わっている頃だった。朝はだいぶ冷え込んだけれど、まあ雨も降らずに良かったわ……と思いながら、お昼休みのスキマ時間に「無事走れた?」とひと言だけLINEしておいた。高校から連絡が入ったらどうしよう?と不安が頭をよぎったけれど、高校からはもちろん、息子からも何も連絡は来なかった。

私が帰宅すると息子はいつも通り、ソファにだら~と座ってYouTubeをみてゲラゲラ笑っていた。「どうだった?無事走りきれた?」と聞くと、「まあね~」とこれまた短いいつも通りの気のない返事。
私はホッとして、無事6キロを走りきることができた息子への「ごほうび肉」をフライパンでジュージューと焼き始めた。夕食の支度をしながら、その日にあったことをどちらからともなくしゃべるのはいつものことだ。私はさりげなく、「で、どうだった?○〇くん(茶道部男子で息子の体育の持久走どん尻仲間)と後ろの方をゆっくり走ったの?」と聞くと、「いや、そうでもない。133位だった。」と息子。
なんと!半分より上位ではないか!息子よ、6キロを走り切っただけでなく、しっかりと自分のペースで走り続けたんだね。しみじみと感動し、心の中でこっそり号泣している私に息子が言った。

「ゴールした時、すごい達成感があった。」

思春期に入り、喜怒哀楽を(特に親である私には)ほとんど見せなくなっていた息子のそのひと言は、私の胸にズシンと響いた。
これが、これこそが、学校へ行く理由なのではないか。

勉強なんて一人でもできる。40人近い生徒が押し込められたあんな狭い教室での一斉授業よりも、自分のペースで自分の苦手な、あるいや好きな分野の問題集に取り組んだほうが、よほど効率的である。そしてIT化の進む現代では、YouTubeを検索すれば、いくらでもわかりやすい解説動画を視聴することができる。しかも無料で。
学校に行けば気の合う友達がいて、休み時間にしゃべったり遊んだりすることが楽しみだったり、やりたい部活があって放課後の練習が待ち遠しく、そのためならば、5~6時間の苦行=授業もなんとか耐えられる!という生徒なら問題はない。けれど、中にはそんな集団生活が苦手な子や、自分のことをなにか悪口など言われてないかと、常に周囲の目が気になってしまう子にとっては、学校という狭いコミュニティは脅威であろう。なぜそんなところに毎日毎日通わなければならないのか。いやだ、逃げたい、行きたくない。

我が息子は、超インドア男子で、外食するくらいなら、家でカップラーメンを食べていた方が全然マシというぐらい「おうち」が大好き。というよりも、自分の好きなものに囲まれている空間にずーっと浸っていたい派なのである。なので当然、学校などという「ごちゃごちゃした場所」には、絶対に行きたくないのだ。けれど、ズル休みなんかしたら鬼の形相をした怖~いオババ=私がいるから、仕方なく行く。それと息子の場合、自分の興味のあるなしに関係なく、「知らなかったことを知る」という欲求が強いらしく、その新しい知識を取り入れるために、学校へ行くらしい。
さらには、「姉」という存在がどうやら彼にとっては大きいのかもしれない。年の離れた姉(私にとっては1人目の子)は、もう社会人になったけれど、学生時代は勉強だけでなく、部活動や委員会や係の仕事といったものを、当たり前のようにキチンとこなす、模範的な生徒であった。小さい頃から手がかからず、私も彼女には「勉強しなさい!」「宿題はやったの?」と言った記憶がほとんどない。
そんな姉の姿を見て育った彼にとって学校というのは「毎日行くもの」、宿題は「必ず期日までに提出するもの」として、インプットされたらしい。

そんな中で、確固たる目的や特に強い意志があって学校生活を送っていたわけでもない息子にとって、今回のマラソン大会は、彼が心身共にほんの少し成長した出来事となったのである。それは、もし彼が学校へ行かず、好きなものだけに囲まれて家の中で日々過ごしていたら、絶対に味わうことができなかった経験である。
じゃあひとりで6キロ走ってみればいいではないかと言うと、それも違う。周囲に競う仲間がいて、インターハイに出るような足の速い生徒に抜かされながらも、焦らずに走る。先生がいるチェックポイントだけ走り、あとはダラダラと歩いている生徒らを横目に見ながらも、とにかく自分のペースでゴールまで走りきる。その一瞬一瞬が、ひとりだけでは味わうことができない貴重な体験なのではないか。

日々の学校生活の中で、友達からの何気ないひと言に傷ついたり、
授業中に先生に当てられて答えられずに焦ったり、
部活でのキツい練習をがんばったのに大会で負けて悔し涙を流したり、
体育祭で優勝してみんなで狂喜乱舞したり、
合唱コンクールでクラス全員気持ちがひとつになった感覚を肌で感じたり、
そういう「瞬間」を味わうために、練習するために、学校生活というものがあるのではないだろうか。

児童生徒一人ひとりの多様性を大事にする教育、それ自体は大事なことだし、これからも常に寄り添っていくべきだとは思う。
けれど、気の合う好きな友達だけではない、苦手な人や嫌いな人が混在する集団生活の中で過ごすことの意味は計り知れない。
まだ柔らくてしなやかな心を持つ若齢のうちに。







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