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「憂鬱」って書けますか?

自分の子にどうやって漢字を教えたものやら……というようなことをフォロワーさんの一人がつぶやいていた。
何を隠そう(⁉)私も漢字を書くのが大の苦手。
タイトルにある「憂鬱」なんて書けるわけがありません。
以前テレビアニメ『毎日かあさん』で“鬱”の覚え方をやっていたのを観て以来、『リンカーンはアメリカンコーヒーを三杯飲んだ』と呪文のように唱えながらならなんとか書けるけれど💦

自分の担当は英語だから、漢字はあまり必要ないとはいえ、授業中に板書することはあるわけで、
完了形?完了型?
第4文型?第4文形?
などというミスは日常茶飯事💦
“演奏する”の“奏”という漢字の上の部分の横棒を2本、下の部分の横棒を3本書いてしまったときは、「センセー、それなんか違くね?」と生徒からのツッコミが……💦

自慢じゃないのだけれど、英語のスペリングもまったくダメ。
英語科の教員としてあるまじき事実だが、だから授業中は事前にドキュメントやスライドにまとめておいたものを使用し、英語を板書することを極力回避するようにしている。

おまえそんなんで教員やっていて大丈夫なのか?

とお𠮟りを受けそうであるが、そんなときはこう開き直る。

だって書く必要がないんだもーん!

今のこのご時世、ほらこうやってPCのキーボードをパチパチと叩いていけば、文章が出来上がっていく。漢字変換は勝手にやってくれるし、Googleのドキュメントなんてスペリングミスしようものならすぐさま訂正してくれる、ありがたやー。(がしかしあの機能は、必要のない部分まで勝手に訂してくれちゃうので、こちらをイラっとさせることもままありますが……)

なので、、、というわけではないけれど、私は英語のスペリングを書かせる問題を定期テストではもう一切出していない。この流れは当然大学入試や高校入試にも出てきており、ぶっちゃけ英語を正確に書く能力が低くても、点数は取れるようにシフトチェンジされてきている。
(英作文においては、スペリングミスは確実に減点の対象となるので、小文字なのに大文字で書いちゃった、とか、s付けるの忘れた、などのもったいないミスはしないほうがいいのは言うまでもありませんが。ちなみに私の住んでいる自治体の高校入試では書かせる問題は1問(配点5点/100点満点)のみ。大学入試の共通テストの1次試験においてはオールマークシートなので書き問題はゼロ。)

国語のテストにおいての漢字の扱いも年々縮小されて、大学入試における共通テストでの配点は200点中10点、しかも選択式。本文に出てくるカタカナの語を漢字に脳内変換させ、それと同じ漢字を含む選択肢を5択の中から選ぶというものだ。つまり“書く”必要がないわけ。こんな言い方したら語弊があるかもしれないが、横棒が2本だろうが3本だろうが、なんとなくその漢字をぼんやり記憶しておけば、選択肢の中から「これじゃね?」と絞ることは可能なわけである。

では最近の学力テストではどんな能力が問われるのか?
それはひと言でいえば読解力ですね。わけの分からない天文気象や政治経済、環境問題、教育問題といった、学生たちにはふだんあまり馴染みのないものについて書かれた長~い文章を根気よく読み進め、大意をつかみ、その文章内で筆者の最も言いたいことはなんなのか、また、どんな問題定義をしているのか、そして、今後どのような変化が期待されているのか、というようなことを推測する力と、その文章を考察し、筆者の意見に賛成なのか?反対なのか?またその理由は?という自分の意見を表現する力が問われているのだ。
大事なのは漢字や単語が正確に書けるかどうかではない。そんな機械的なことは、機械に任せておけばいいのだ。それよりも己で考え、その考えを明瞭で簡潔な言葉で表せるかどうかが大事なのだ。
無論、そのためには語彙力が必要となってくる。だからより多くの言葉を知っておくことは必要不可欠だし、機械に任せて漢字変換させるにしても、どの漢字が適切かどうかを判断する能力も必要となってくるのだ。
それらの能力をどう身に付ければよいかというと、新聞や本を読むといったことに普段から慣れ親しんでおくことが、もっとも手っ取り早く確実な勉強方法になるのではないかと思う。とにかく読む。好きな作家がいればその人の書かれた小説なりエッセイなりを読む。いきなり新聞ではハードルが高いのであれば、その見出しだけにでも目を通す。
その際は、わからない語や読めない漢字にぶち当たっても、その都度止まっていちいち意味を調べたりせずに、とりあえず無視するか意味を想像するかにとどめておいて、とにかく最後までその記事なり小説なりを読み終えること。それが大事。

じゃあ漢字や英単語を馬鹿の一つ覚えのごとく、何度も何度も書いて覚えるのは無駄なことなのか?と言われれば、そんなことは決してない、多分。
でもそれはその文字の形状や、語のつづり方などを習得することが目的なのではなく(まあもちろん覚えられたらそれに越したことはないのだけれど)、自分にとって苦痛な動作を連続して行う、初めて見る形を覚えようと試みる模写する能力を身に付ける、あるいはたとえ10分でも自分の意図しない物事に集中して向き合う、といったことを子どもの頃から経験しておくことこそが目的であり、それらの行為は今後生きていくうえで、必要なスキルとなって自分自身の引き出しに蓄積されていくのではないのだろうか。

漢字を覚えられた!ということよりも、10分間座って同じ文字を何度も繰り返し書き続けることができた!ということに対して、思いっきりほめてあげて欲しい。
あるいは漢字の神経衰弱なんかに挑戦して、1枚でも多く同じ漢字カードをゲットできたら、大いに誇らしく思ってほしい。

漢字なんか書けなくてもいいよ。
英語のスペリングもなんとなーく雰囲気をつかんでおけばいいんだよ。
あとは機械が適当に変換してくれるからさ~








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