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さよならヒーロー さよならヒロイン

トーキョー、シブヤの無数にあるライブハウスのひとつでヒーローが今夜もギターを掻き鳴らす。
ステージ上手のアンプから、今日もうるさいくらい乱暴で楽しそうな音が飛び出している。
私が彼を初めて知ったのはバンド好きの友達に連れていかれた小さなライブハウス。
私もバンド好きだけど、行ったことのあるライブは俗に言う大手からデビューしてるバンドのホールツアーだったりでライブハウスというところにはその時初めて行った。
到着したときには1番手のバンドが演奏しててスピーカーから飛び出る音は思っていたより乱暴で私はステージから一番遠くのドリンクカウンターの端に立ってた。
そして運命となった3番手。
私は彼のギターの虜になった。
さっきまで演奏してた違うバンドのギタリストと同じように乱暴に飛び出してきた音は私の体を刺激する。
痛いようなそれが心地良いような変な感覚に縛られながら私は少しずつゆっくりながら確実にステージに近づいていた。
いつのまにか30分と言う短い持ち時間を使いきってヒーローは奥の楽屋に戻ってしまった。
ステージの最前列の柵を掴むにはもう少し時間が必要だった。
覚えているのはアップテンポの曲に前後左右に飛び跳ねながらギターを掻き鳴らしていて、上手にはマイクも無くてコーラスどころかMCも一言も喋らなかったから顔も声も全く認識できなかったこと。

トーキョー、シブヤの無数にあるライブハウスのひとつでヒロインが今夜も歌い踊ってステージを盛り上げる。
アイドルグループに所属しているものの端っこにいることが多く歌割りも少ないけど、懸命に踊り、少ない歌割りでも僕にとっては最高のヒロインだった。
元々僕は在宅ヲタでテレビやネットでしかアイドルを観て満足していた。
自分に自信がなく、自分みたいな人間に直接応援されても迷惑になるだろうと思っていたから。
僕が君を始めて見付けたのは、当時推していたアイドルのPVをネットで観ていたら君のグループのPVが流れてきた。
そこで君と目が合い、君は僕のヒロインになった。
それから君のグループを観ることが急激に増え、PVもグループのチャンネルや出ている動画などは全て何度も見返していた。
でもライブを観にいく勇気がまだなかった。
観てみたい気持ちは沢山あったけど、その1歩が踏み出せないままだった。

彼のライブに通い始めた頃は、まだバンドも人気がなくお客さんはほぼいなかった。
お客さんと言ってもバンドメンバーの知り合いや対バンの関係者の方が多くを占める日もあるくらい。
私は彼が出てくるときだけステージ上手の柵の前にいた。
彼は出演時間以外は楽屋から全く出て来なくてライブ中でも鼻の頭あたりまである長い前髪でほぼ顔が見えずマイクもないのでMCのときも一言も喋ることはなかった。
ギターの音は相変わらず乱暴で、でも楽しそうに私の体に向かってくる。
声も知らない私のヒーローは今日も自分たちの持ち時間の30分を終えると早々にステージから姿を消して、そこから会場に出てくることはなかった。

PVや動画を観て僕は君をもっと近くで観てみたいと強い想いが募ってきた。
グループの端っこが多い君はPVでも出番は少なく見切れることも多い。
グループのチャンネルでもPVでもあまり目立つことはなくグループの絶対的センターの子が目立つばかりで、なかなか出番がない。
もしもライブを観に行ったら、ずっと君だけを観ていられると思った。
最前列までとはいかなくてもライブハウスの後ろの隅の方で観てれば、君の迷惑にもならないのではないかと思いライブの日程を確認してチケットの予約画面を眺めるのだけど、なかなか予約確定のボタンを押せないままだった。

少しずつ彼のバンドも人気が出てきて、彼のバンド目当てのファンも増えてきた。
ファンの女の子が最前列に来るようになり、それまで私のいた場所はあっという間に奪い取られ、少し下がったところでライブを観ることが多くなった。
物販もファンが増えるのに比例してCD-Rに焼いたお世辞にも音質が良いとは言えない3曲入り100円のCDだけではなくて、ステッカーやちゃんとしたCD(音質の良い7曲入り)など少しずつ増えてきた。
CDのジャケットのアー写も前髪がしっかり顔を覆っていて、新しい曲のコーラスでも気配を感じず相変わらず彼の顔も声もわからないまま。
掻き鳴らされたギターの音はステージから少し離れても、変わらず私の体に突き刺さっていた。

ライブチケットの予約というのはこんなにも体力を使うものだったんだ。この作業にいつか慣れる日がくるのか心配になるくらい僕はゼーゼー言いながら予約を完了した。
場所はシブヤのセンター街を抜けたところにあるライブハウス。
ライブハウスはもちろんトーキョーに住んでるのにシブヤにだって行った記憶はない。
でも君を観るために僕は立ち向かうんだ。
そして君のイメージカラーのサイリウムを振って少しでも綺麗な景色を見せたいんだ。
ネットで買ったグループのグッズを持って僕は君に会いにいく決心を固めた。
自信がなくてライブに行けなかった過去は、少しずつ楽しみで埋めつくされつつある。

ファンがどんどん増えて、今まで当日でも余裕だったチケットが取れなくなってきた。
彼のバンドが急激に人気になりいつものようにフラフラと行くと入れなくてライブハウスの前で少し呆然としてしまった。
確かにどんどん私の位置は後ろに下がり彼のギターを始めて聴いたところまで下がってしまっていた。
どこに立ってても観やすかったステージはもう無くて、後ろに立つととても観にくくなってしまうほどファンが増えたということなんだろう。
それでも彼のギターの音は何もかも変わらず乱暴で楽しそうだった。
でもライブハウスに入れなければ、彼のギターの音が私に突き刺さることは無い。
音質が良くても悪くてもCDの音源ではギターの音は私に突き刺さることはなかった。

初めてのシブヤ。初めてのライブハウス。
ネットで頼んだグッズは何かの手違いで届いたのがライブにギリギリ間に合うかの瀬戸際の時間だった。
箱を開けてゆっくり準備している時間は全くなかったのでサイリウムとTシャツだけリュックに詰め込んでシブヤに向かった。
ギリギリの時間、初めてのシブヤ、お祭りがやってるのかと思うくらいの人、大きなスクランブル交差点、ライブハウスまでの初めての道のりは駅から10分と書いてあったけど、とても遠く時間がかかったように感じた。
ライブハウスはアイドルのライブとはいえ怖いイメージがあったが、入り口ではスムーズに受付が出来て、ここまでかかった時間が嘘のように…まるで世界が自分を中心に回ってるかと思うくらいスムーズに会場に入ることが出来た。
受付でもらった物販の整理番号は『108番』で今日は3組のグループが出演で物販は最後のライブが全部の終わってから一斉にスタートするらしい。
ライブハウスって狭いイメージがあったのだけど、思ったより広かった。
僕は持ってきたTシャツを着てきたシャツの上から着てサイリウムを準備して、ステージの方に向かった。
君は大体ステージ下手にいることわかってたので後ろの隅っこの君の見えるところに立った。
前の方は人が多く熱気が凄かった。
そして迎えた1組目は君のグループ。
初めてこの目で直接観た君はサイリウムを振るのを忘れてしまうくらいとても輝いてた。
画面越しに観てきた通り君は端っこで歌割りも少なかったけど、やっぱり君はヒロインだった。
あっという間に君だけを追い続けた持ち時間の30分が終わってしまった。
あとの2組のライブも観たけどほとんど覚えていない。
それくらい君が僕に与えた衝撃は凄まじく輝いて記憶を照らしていた。
物販はライブと同じくらいの熱気が漂う。
握手券付きの数量限定のチェキが販売していてお目当てのアイドルとのツーショットの空間を作り出したいのは僕だけではなくここにいるほとんどの人が願うことだろう。
僕の整理番号は『108番』
購入者からメンバーが待つステージ前に向かっていく。
人気があるのは絶対的センターの子だった。
君のところに列が出来ることはなかった。
そして108番が呼ばれた時にはチェキは売り切れ。
僕は君の元へ行く権利を勝ち取ることが出来ず、グッズの入った宅配便を待ってないで会場に行ってればもしかしたら…と考えると悔しい。
絶望を感じてる僕に降りかかる推しに会えて嬉しい気持ちの溢れた声と喜ぶアイドルの声。
そのなかに君の声もあって、君のところにもファンが行っていてホッとした。
一瞬で嫉妬と寂しさが溢れそうになるのをグッと押さえグッズを数点買ってライブハウスから帰った。

SNSのタイムラインに流れてきた『メジャーデビュー決定』の文字。
彼のバンドはメジャーデビューが決まったらしい。
もっとも最近はチケットが取れなくなって半年以上ライブにも行けてなかった。
大きめのライブハウスでのワンマンライブのチケットは久々に取れたので楽しみにしている中でのメジャーデビュー。
メジャーでの本格的な活動は少し先になるみたいだけど、またチケットが取りにくくなるのは憂鬱になる。
ワンマンは難しいけど、出来るだけ前で観たいなって思ってた。

次こそは早くライブハウスに着いて早い整理番号をもらって物販で握手券付きのチェキを買って君に会う。と意気込んでいたのだけど、あのライブのあとセンターの子のSNSが話題になり、いきなりチケットが取れなくなってしまった。
予約制だったことが抽選になって全くチケットが取れなくなってしまった。
チェキを買うどころかチケットが買えない。
チケットが買えないとライブにも行けない。

ワンマンライブ当日はウキウキしながらライブハウスに向かった。
今までこんなに浮わついた気持ちでライブハウスに向かったことがあっただろうかと思うくらいに。
会場に着くと今までのライブハウスとは違う雰囲気で物販もバンドメンバーではなくスタッフの人がやってたし、グッズもかなり増えてた。
私がライブに行けなかった半年くらいでファンもかなり増えていた。
物販でグッズや新しいCDを買って少し並んで会場に入り。
ファンで溢れている会場も熱気がすごい。
前の方で観たいななんて悠長なことを言ってられなかったことに気がついた。
前の方は人でびっちり埋まっていた。
それでも彼のギターが聞ければいいと思っていた。
相変わらず顔も見えないし、ライブ中でも声を発することはなく、乱暴で楽しそうなギターの音が飛び回っていた。
でも…なぜか彼のギターは私に突き刺さることはなかった。
会場が大きかったから??
私がライブから少し離れていたから??
メジャーデビューが決まったから??
こんな気持ちでライブハウスから帰ることになるとは2時間前には全く考えもしなかった。

相変わらずチケットは当たらず動画で君を観る日々が続く。
1回直接観てしまった君を、また直接観たいという欲が高まってはチケットが取れずに落胆してしまう。
こんなことならライブなんて行かなければ良かったと思うくらい。
それでもまたライブの告知がある度にチケット争奪戦に参加してしまう自分の欲が思ったより深いことを知る。

ワンマンライブの後はメジャーデビューに向けての活動に向けて準備と言っていた通り、ライブの告知はなかった。
秋頃デビューとの噂が立っていた夏の暑い日、SNSのタイムラインで彼の『脱退』を知ることになった。
ハッキリとショックを受けている自分を知る。
脱退の理由は方向性の違いって在り来りな理由だし、なんで??って言うのが率直な感想。
お別れライブも本人コメントも無しでは、それ以上知ることはできなかった。

チケット争奪戦の真っ只中の夏の暑い日、SNSのタイムラインで君の『卒業』を知る。
嘘だと言ってくれないか…グループチャンネルのドッキリだと言ってくれと願ったが、運営からの公式発表もあり、現実を突きつけられる。
「新しい挑戦を向けて進んでいきたい」って今のままでも挑戦出来ないのかって思いながらも現実を受け止めるしかなく、そっとチケット争奪戦からも身をひくことにした。

それから数ヶ月。
寒くなってきたと感じるくらいになってきた頃、ネットニュースの端っこで沢山のニュースに埋もれるように『デビュー直前の電撃脱退の元ギタリストと元地下アイドルの結婚から出産へ』とのタイトルで綴られていた。
ほぼ同じタイミングで発表した脱退と卒業、コッソリと結婚していたこと、出産を控えていること、脱退後ギターをやめて普通に就職したこと、卒業して結婚を決めていたこと。
音楽性の違いってなんだった??とか新しい挑戦って結婚出産か??って言うコメントもあった。
そのニュースを最後に2人の情報が出てくることはなかった。
SNSの個人アカウントもいつの間にか消えて所詮メジャーデビュー前のバンドのギタリストとまだまだ地上の遠かった地下アイドルの結婚と出産なんて活動しなければ話題になることもなく、ファンでなければすぐ忘れ去られてしまうのだろう。

脱退したバンドは新しいギタリストが決まらないままデビューは未定になってるし、卒業したアイドルグループは一時の流れに乗り切れず地道に活動を続けている。

いつかは来ることだとわかってはいた。
でも少なからずショックはある。
それでも推していた人が幸せを掴んだと思えるなら、推していた側からするといいのかなとも思うけど。
誰のせいとかでもなくこんなもんなんだ仕方ないって思うしかない。

サヨナラ私のヒーロー。

サヨナラ僕のヒロイン。

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