記憶、写真、溺れている
自分では踊っているような感覚だった。
まさか溺れていたなんて。
様々な記憶が1枚1枚の写真のようにユラユラと流れている。
掴むこともゆっくりと見ることも出来ない。
写っているのは誰だろうか…会ったことはあるような気がする。
でも写真に写っている情景以外は思い出せない。
声も顔も写っている以外の表情も…。
とても天気の良い日だったり夜の街灯がキラキラと輝いていたりどしゃ降りの雨だったのだろうかずぶ濡れになっていたり。
そこでどんな会話を交わしていたのか、どんな関係でどんな想いがあったのか…ただ少し懐かしいだけでそれ以上の情報がない。
写真も自分も沈んでいくわけではなく、ただ流されていくように溺れているように彷徨い続けている。
きっと無数の写真と目的のない自分と言う存在がそもそも実在するのか疑わしいくらい長い時間がつづいていくのだ。
そして流されて溺れていくうちに、思い出すこともなく1枚ずつ写真が消えて、そのまま自分も気がつかないうちに消えてしまうのだろう。
時間がどれだけ経ったかもわからない。
そんな中、自分の中の記憶がざわつくときがある。
目の前に浮いてる写真がぐるぐる目まぐるしく周り、自分の思考もとても早くなる。
もしかしたら何か思い出せるかもしれない。
どこから来てどこへ行くのか。
自分の顔や声や名前…どんな姿をしているのか…思考が追い付かなくて自分が破裂するのではないかと不安になる。
息が出来なくなるような感覚で、もがいてもがいて浮かびながら太陽のような光に近づくような感覚。
もう少しで水面に浮き上がれる寸前で何事も無かったようにまた沈んでいく。
ゆっくりと沈んでまた何もなかったかのように流されていく。
思い出すことを願うと同時に思い出すことを諦めている。
きっと終わりがないのか終わりに気がつかないまま繰り返し、ずっと続いていくんだろう。
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