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「ペンタックス」に想いを馳せて

はじめに

「ペンタックス」かつては「旭光学工業」であった事は若い方は知らないかもしれない。最盛期には庶民の味方の一流一眼レフメーカーとして不動の地位を築いていた。
日本のカメラメーカーが欧州カメラメーカーを淘汰し、カメラ王国に上り詰めたのは、レンジファインダーではなく一眼レフの可能性を主導した「旭光学工業」の”アサヒフレックス”があってのことだ。
私が最初に使った一眼レフも「旭光学工業」製であり、とても想い入れがある。

だがしかし、現在の「ペンタックス」は残念な状況にあります。
厳しい意見も書かざるを得ませんでした。
だから、この記事は「ペンタックスファン」の皆様には面白くないかもしれません。

ただ、私の基本スタンスは「応援」です。頑張ってほしいのです!

だから、不本意ではあるが有料記事にしています。
お金払ってでも「愛のある叱責を読んでやろう」という方だけ読んでください。

ペンタックスの素晴らしい点、そして現在の残念な点を歴史を振り返りながら執筆しました。
そして、改善の糸口も書いたつもりですので、ペンタックス関係者の方が読まれたなら、参考になるかは別としても、業界人の一見解として受け取っていただけると幸いです。


1、旭光学工業との出会い

”アサヒペンタックスSPF”

私が始めた買った一眼レフである。名機”SP”を絞込み測光から開放測光に進化させた、これもまた名機である。

さらには当時新しいイノベーションであったマルチコート採用の”SMCタクマー”標準レンズがキットになっていた。
開放測光の露出計は追針式と一般的に言われたが、”SPF”のそれはシャッター速度メモリを追いかける追針式ではなく、シャッター速度に関係なく、+−表示の真ん中に針が来るようにすれば良かった。他社とは一線を画した画期的なものだった。
針の位置で露出補正が感覚的にわかり、すごく使いやすかった覚えがある。

小学校高学年で買って20歳くらいまでの愛機だったから、約10年間ほど使い込んだカメラだった。
フィルム代、現像代、焼き付け代など少ないお小遣いでやりくりするのが大変だったが、缶入り長尺の白黒フィルムを買って、パトローネに詰め替えて節約していた。
さらに、現像タンクから引伸ばし機まで買って、自家現像・焼き付けを押し入れ暗室でやったものだ。

学校のイベントでは、友達から「あの子の写真を撮ってくれ」と意中の女子の撮影注文が入り、撮影しては、プリントして売りさばいていた記憶がある。

なんとも懐かしい。

今考えると、デジカメになってフィルム・現像はタダ同然でできるのに、あの頃の方がたくさん写真を撮影していた。
カメラ開発で得た知識も多いが、写真撮影に関する知識はこのころにほぼ吸収していたと思う。


話をペンタックスに戻すが、当時はマーケティングもうまく、B6版の”SMCタクマー読本”は今でも忘れられない。
私の愛読書だった。
毎夜毎夜、寝る前に一通り眺めて眠る日々を送り、ボロボロになっていた。
美しいサンプル写真と商品写真。特に広角レンズの球面レンズに映り込むコートの反射の美しさと、憧れの500㎜/F8レンズ。
どれをとっても未だに目に浮かぶ。あの冊子はどこに行ったのだろうか。もう一度見てみたいものだ。

また、印象的なテレビコマーシャルは秀逸であった。
「ペンタックス、ペンタックス、望遠だよ、ワイドだよ」1日1度はテレビで見たCMだ。
50歳以上の人なら、一度は見たことがあるかもしれない。

庶民派メーカーでありながら、一流カメラメーカーとしての地位を築いていた。

技術的にもコンペチターと同等の技術開発を行い、対等に戦いを繰り広げていた。
特にスクリューマウントという、弱点を克服して自動露出化など複雑な機構を開発したこともすばらしい。
そのカメラが、世界初絞り優先AEを搭載した”アサヒペンタックスES”である。

これまでの”SP”や”SPF”では「SPOTMATIC」という刻印がグリップ上部の軍艦に彫り込まれていたが、”ES”ではその上に「ELECTRO」の文字が刻まれ、2行にわたって書かれていた。
これがまた、憧れであり、格好良かった。

2、何を血迷ったか!

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