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偶然は必然なのかも知れないね

 わたしの恩人様を通して知り合ったお世話になった方、この方を仮にとかちくんと呼ぶ事にしよう。とかちくんはわたしがこの地に来るきっかけをくれた人だ。今とっても自分らしく人生を送れているのは、彼のおかげと言っても過言ではない。そんな彼の近況は、時々恩人様から伝え聞いていた。
 ある日恩人様からとかちくんの話を聞いて驚愕した。何と不景気の煽りで建設業の臨職をクビになりそうで、もう一つある事務のお仕事もいじめが酷く辞めさせられそうになっている。何より大変なのは先日事故に遭って、顔がすごく腫れているというのだ。泣きっ面に蜂というが、こんな事が現実にあるのか?と言う話だった。
 恩人様はとかちくんを心配し、本人は医療機関を受診する気持ちはないようだが、した方が良いよね?と言う確認で連絡が入った。わたしはもちろん受診を勧めた。何故なら人間事故などのアクシデントの渦中にある時、アドレナリンがドバドバ出ているので、とにかく身体が臨戦体制で冷静に体調を捉える事ができないのだ。また交通事故というのは厄介で、受傷時に医療チェックしておかないと、後追いして出た症状を事故由来と証明することは難しくなる。だから必ず大丈夫と思っても受診すべきなのだ。恩人様は「やっぱりそうだよね、分かった。伝えてみるね。」と言って電話を切った。そして後日それは偶然なのか?と言う出来事を聞かされる事になる。

 数日後、恩人様からまた連絡が入った。とかちくんが病院受診してからの報告だった。何と今回MRIをして脳腫瘍が見つかったかと言うのだ。だから手術をして加療が必要になり、その他色々な事が重なり二番目の臨職もクビつなぎになったと言うのだ。
 今回事故に遭い弱目祟り目のような状況だったけれど、そのアクシデントがなければ病気のことも発覚しなかった。一見事故に遭うこと自体は災難だけれども、そのキッカケから検査をして病気の存在が分かり、治療に進んだと言うのは命拾いをした事になる。命拾いをして良かったのだけども、事故に遭わないといけないくらいの衝撃が必要だったとも言える。
 最近この世は神様またはサムシンググレートのチェス板の上なのかなと思う時がある。
自分の思う通りに生きているようで、実は綿密に組まれたマトリックスの中の出来事なのかも知れない。何れにせよ、必要な時には必要な出来事が過不足なくやってくるのかも知れないね、と言う気持ちになった出来事だった。そう言うわけで、目の前にある人、モノ、コトからは逃げずにどうやったらクリアできるか考えながら日々粛々と過ごすことが正解なのかもなぁとフトフト思った次第である。

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