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「帰国子女っていいよね」と言われるたびに思うこと

小学校の後半、中学校、高校の前半にかけて、外国で、言葉のわからない学校生活を送っていた。

友達がいなかったし授業もあまり理解できなかったので、毎日ノートに絵や文章を書いて過ごした。
文章については「日本語でノートを取っているの」と言えばふぅんと納得してもらえたけれど、絵は描いているのがバレるたびに先生やクラスメイトに怒られた。
むさぼるように身の回りにあった日本語の本を読んだ。今になっても活字中毒だけが後遺症みたいに残っている。
休み時間は外で遊ばなければいけないルールで、一人でジャングルジムに登ったり全力でブランコを漕いだりしていた。
「Make a pair(二人組つくって)」と言われるのが怖くて、体育や理科の授業の前によく早退した。

綿矢りさは「蹴りたい背中」の冒頭で『さびしさは鳴る』と書いた。『さびしさは鳴る。耳が痛くなるほど高く澄んだ鈴の音で鳴り響いて、胸を締めつける』。クラスメイトの金切り声を表現する比喩だって分析する人もいるけど、私はちがうと思っている。さびしさは、きーーーんというような、りーーーんというような、そういう音で、本当に鳴る。

中学二年生の頃、学年にもう一人日本人の子がいて、彼も同じような感じだった。信じるか信じないかわからないけれど(You might not believe it, but)、私たちは彼が持っていた「完全自殺マニュアル」を読んで仲良くなった。

首吊り自殺は失禁・脱糞したりするらしい。青酸カリは手に入りやすく、飲むと即死できるのでいい。一番安らかな自殺の方法は、百合の花いっぱいのビニールハウスで一晩眠ることらしい。
えー、本当にそんなんで死ねるの、って笑った。

私も彼も、本当に死ぬ気なんて一ミリもなかった。死でもいつなのかわからない帰国でもなんでもいいから、生活に一筋の逃げ道が必要だった。
結局彼の方が先に帰国が決まって、彼は受験のために一時帰国したとき、お土産に隅田川で花火を見るキティちゃんのストラップを買ってきてくれた。帰国するまで、帰国してしばらくして日本の高校に慣れるまでも、ずっとお守りみたいにつけていた。

周りの帰国子女の人たちからは「いい経験ができました!」って話を聞くことが多くて、うまく馴染めなかった私が特例だったんだなとずっと思っていた。でも、親しくなって話を聞くと、そういう人は思っていたよりも多かった。

「グローバルに事業を展開したい」とかで、私の会社の同期は文系採用の8割以上が帰国子女だ。
同じような時期に海外経験をした帰国子女の友人と昔話をした時、彼がずっと休み時間石ころを拾っていたという話を聞いた。お父さんに、一年帰国が延びたと聞かされて大泣きしたことも。テニスが好きで、英語弁論で全国優勝した、優しい同期。
「私めっちゃ人と話すの好きなの。なのに言葉がわからなくて、話せなくて、”You are so quiet.”って言われて、すごく悲しかった」と、話してくれた友人もいた。今では日本語と英語とスペイン語を流暢に操るトリリンガルだ。
皆大変だったね、頑張ったね、って、過去の自分たちをいたわりあった。

海外営業として活躍する、太陽みたいに明るくて、人の痛みがわかる、大好きな同期たち。
言葉がわからなくて学校に馴染めなくて悩む帰国子女全員のところに彼らと一緒に行って、「大丈夫だよ!同じようなことに悩んでた人が、こんな素敵な人になってるよ!がんばれ、がんばれ!!」って松岡修造みたいに言いたい。

悔しい。って何回思っただろう。
転校して数ヶ月の頃、自分の国の有名な科学者について調べて発表するという宿題が出たことがあった。当時私の学年にいた日本人の女の子は、私よりずっと頭がよくて利発で頼もしくて、異国の学校に逞しく馴染んでいた。彼女は野口英世について発表した。「彼は日本のとても有名な医者です。彼は日本の福岡というところで生まれました」と彼女は言った。ちがう、って思った。野口英世は、本当は福島出身だ。ちがうよ福島出身だよ、って言葉がのどにつっかかって、でも声が出なかった。

「私、野口英世は福島出身ですって言えなかった」って家に帰って大泣きした。家族は何のことかよくわからずに困っていた。「No, he is from Fukushima」って文章は、頭の中で組み上がっていた。なのに言えなかった。金縛りにあったみたいに、声が出なかった。
ばかみたいだと今になって思う。日本以外の国の人たちからしてみれば、野口英世が福岡生まれだろうが福島生まれだろうがどっちでも同じことだ。
みじめだった。10年以上前の話なのに、今でも時々思い出す。

彼女はその後すぐに父親の仕事の都合で他の国に引っ越し、中学二年生の時に日本に帰国した。風の噂で、彼女が日本の中学校でひどいいじめに遭っているという話を聞いた。
世界は自分と異なるものに、ひどく厳しく、残酷だと思う。

帰国子女っていいよねと、よく言われる。確かに学んだことはたくさんあった。
世界にはさまざまな外見の、色んな考えを持った人がいること。
人種差別は実際に身の回りで存在すること。
日本のメディアは欧米の文化ばかりを取り上げがちだけれど、実際にはもっと多様な国、文化、言語、価値観、宗教が存在すること。
それらが絡み合って、少し触れれば雪崩れてしまいそうなバランスで存在していること。
そしてやっぱり、語学も。

「いいよな〜帰国子女は英語しゃべれて」って言われると、必ずしもいいことばかりじゃなかったけどなぁとか学べることは英語だけじゃなかったよとか、そんなことをコンマ5秒くらいだけ考えたあとに「いいでしょ!」って言う。
特に傷つくこともない。相手もそんなに考えずに言ってること知ってるから。「おはよう」って言えば「おはよう」って言うのと一緒。「風邪引いたの」と言われれば「大丈夫?」と。髪を切ったことがわかれば「髪切った?いいね!」と。帰国子女だってことがわかれば、「英語ぺらぺら!?いいなぁ!」と。

普通に生きることにすごく憧れた。
生まれて、幼稚園か保育園に通って、そこで「幼馴染」と呼べる友達ができる。小学校でドッジボールに勤しむ。
中学校で吹奏楽部に入って時々同期や先輩と揉める。初恋は片想いで終わる。時々自転車で友達の家や近所のショッピングセンターに遊びに行く。
高校で中学より少し自由な生活を送る、皆と同じように大学受験に向けて頑張って勉強する。友達に頑張れってキットカットをあげたりする。センター試験を受ける。
大学でテニスかアカペラのサークルに入って自由を謳歌し、3年生になったら新卒一括採用の就活に挑み、同期がたくさんいる日系大企業に就職する。
就職したら学生時代の友人と飲みながら「大学生活は自由でよかったなぁ〜」と愚痴る。
そんなところまで含めて、憧れのテンプレートだった。

「別につらいことばかりじゃなかったけれど、楽しいことばかりでもなかったよ」ってことを、どこかに書き記しておきたくて、このnoteを書きました。

サポートくるたびに飛び跳ねてます ありがとうございます サポートで500円ためてスタバで甘いもの飲みながらnoteの原稿を書くのが直近の目標であり夢、叶え、かなえだけに(なんだそれ)