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サヨナラの意味

香里園駅で、金木犀が自己紹介をしていた。

この看板が立てられたのは、昭和四十三年。変わらずここに立っていたんだね。時間がゆっくりと流れている関西という土地が、私は本当に好き。

帰り道、フジファブリックの赤黄色の金木犀をずっと聴いていた。
きっと秋になれば、この木もみかん色の小さな花をたくさんつけるのだろう。想像のなかで、秋の香りをふうわりとすいこむ。

赤黄色の金木犀を聴いていたら、去年の秋のはじまりのことを思い出した。その頃も、ずっとこの曲を聴いていた。
ちょうど前の職場から今の職場にくる直前で、私は色んなことに「これで最後かもしれない」と感傷的になっては勝手に傷ついてばかりいた。

地元の人たちに人気のそば屋で、仕事終わりにいつもピノを買うコンビニで、悠々とすまして走るえんじ色の阪急電車で、先輩がときどき差し入れしてくれるたいやき屋で、大阪で一番長い商店街のはしっこで、もう一度ここにくることはできても、もう同じ姿の彼らには会えないんだって泣いた。
もう一回来たって、それらはきっと新しい顔をして、私のことなんか知らんぷりしてすましているんだと思い込んでいた。そんなことないのに。

この一年で、サヨナラに強くなった。
どんなに悲しい最後がきたって、それは新しい出会いのはじまりで、もっと楽しい何かが待っていることをもう知っている。
過去の私は つめたい! って怒りそうな気がする。つめたいんじゃないよ。「強くなった」って言ってるじゃん。
文句あるかよ。文句があるなら泣くのをやめろ、被害者ぶるのをやめろ、もっとサヨナラに強くなれよ、と叫びたい。過去の自分に。めちゃくちゃだ。

駅はいつだって騒がしい。ぼう、と警笛が鳴って、電車がホームに入る。曲目が変わって、心地よいリズムで「銀河」が流れる。タッタッタッタタッタタッタッタ。昔これ何の曲だっけってツイッターでつぶやいたら、みんなが教えてくれたのおもしろかったな。

もう一度季節が巡ったら、私はまた何かに強くなれるんだろうか。
2019年が、あと3ヶ月で終わってしまう。










9/2 22:18追記

後4ヶ月でした。
引き算できてへん。経理やのに。






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