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ケンブリッジにみる階級社会と帝国の面影

ケンブリッジで撮った写真を見返すと、どれもため息が出るほど美しい。景観だけを取ってもこの大学に通う価値はありそうだ。

もちろん、この大学の魅力は景観だけではない。13世紀から脈々と受け継がれてきた知を探求する精神が一体を覆っている。ニュートンやダーウインなど数えきれない天才の息遣いが今も感じられる。

ただ、こういった景観や偉人といった既成事実を超えて、もう少し本質的にケンブリッジ大学の知的生産の源泉を追求してみたい。そこから、日本の教育にとっての含意についても考えてみたい。

結論から言えば、ケンブリッジの発展を支えてきたのは階級社会によるエリート層の知的交流と大英帝国の存在だと思う。

翻せば、ケンブリッジ大学が今も世界をリードする大学であるのは、何か特別な教育を施しているからというよりは、こういった歴史的背景が大きいと考えられる。

世界から優秀な学者や生徒を集めているというのもケンブリッジの知的生産の源泉と考えられるが、これはケンブリッジ成功の原因(要因)というより結果なのだと思う。より本質的な要因は前述の歴史に求められると思う。

歴史は今更変えようがないので、日本にとってこの結論はなんの価値も持たないように思われる。ただ、ケンブリッジが辿った歴史的経路とは違えど、その成功を支えた制度や環境などを人為的に取り込むことはできるように思う。

そうした魅力的な環境の一つが「学園都市」だと私は感じた(以下の記事参照)。

階級社会によるエリート層の知的交流と大英帝国

以下記事にも書いたが、約600年の間、イングランドにはオックスフォードとケンブリッジにしか大学がなかったため、当時のエリートはいずれかの大学に通っていた。

そのため、両大学が知のハブのように機能したのではないか。各地方に分散した知が一箇所に集まったことで、人的交流による刺激が生まれ、知のスピルオーバーをもたらしたというのが私の仮説だ。

もちろん、こうした知のハブはどこの国、いつの時代でもあるのだろうが、英国が特異なのは、オックスフォードとケンブリッジによる独占体制が長年保たれたことだ。これを可能にしたのが、上流階級による政治や経済の掌握なのだと思う。

さて、知のハブをさらに強固なものにしたのが大英帝国の存在だと考えられる。

世界のあらゆる知に触れることで知的活動が刺激されたことに加え、大英帝国によってもたらされた利益による研究費の増加も無視できないだろう。

大英帝国を大まかに17世紀から20世紀と考えれば、ケンブリッジはこの間にニュートンやダーウインといった偉人を輩出している。

知性の集結や偉人の輩出が、さらに知識人を呼び込むという正の循環が生まれる。さらに大英帝国の産物として、英語が世界共通語のような役割を与えられ、英国(特にロンドン)は人種のるつぼとなった。

そのため、ケンブリッジは国内に限らず、世界各国から優秀な人材を集めるられるようになった。こうした経緯のもとに現代のケンブリッジ大学があるのだと思う(こうした仮説をしっかりと検証したわけではないので悪しからず)。

学園都市ケンブリッジ

知の源泉として、集積による活発な人的交流がもたらす知のスピルオーバーに重きをおいて説明を試みた。

ケンブリッジの場合、これは前述の歴史的背景によるものが大きいと思うが、この集積の仕組みはある程度人為的に真似できるようにも思う。

ここではどのように集積を起こすのかには触れないが、とりあえずケンブリッジの教育とはどんなものか気になる方のために知を集積した「学園都市」の特徴を少しだけ紹介したいと思う。

まず、全ての学生に加え、多くの教授が「カレッジ」という寄宿舎のようなところに住み、毎日生活を共にしている。各カレッジでは定期的に晩餐会のようなものが行われ、学生はご飯を囲みながら、たわいもないことから政治や経済について語り合うのだ。

また、学生二人対指導者一人の"supervision"なる少人数演習が学びの要となっており、こうした双方向型の授業を通して学生は議論する力をさらに磨き上げいく。

要は、世界各国から2万人ほどの優秀な頭脳を一箇所に集め、長期間一緒に住まわせることで化学反応を起こしている大学とも言える。

さいごに

こんな環境で学べたことは非常に光栄なのではあるが、環境さえ整えればケンブリッジで受けられるような教育を日本などでもある程度実現できるのではないかと思い、今回の記事を書くに至った。

というのも、以下記事でも書いたように、ケンブリッジの教育陣が卓越していたわけではなく(経済学修士)、どちらかといえば環境が良かったように思うからだ。

また、あくまでも個人的な感覚だが、学生の質に関しても日本の学生はなんら遜色ないと感じた。

だからこそ、一方が世界のトップ大学と称され、もう一方で日本の大学がいまいちな状況が悔しいとも思った。

既に各大学が取り組んでいることであり、私なんかが偉そうに言うことでもないが、世界各国の学生を受け入れられる仕組み(例えば言語や生活環境面)がもっと整えば知的刺激の幅が広がるのではないかと思う。また、知的生産の場として寮の価値がより認識されて良いように思った。

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