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ケンブリッジ大学にて学んだこと

日本に帰国しました。

アスファルトから立ち登る熱気は思考する気力を奪い、湿気は視界を朦朧とにじませる。日本の夏には、留学など夢だったのではないかと、全てを忘却させる力がある。

烈日で記憶が蒸発する前に、ここに留学で学んだことをまとめることにしよう。

1.経済学は底知れぬ

経済学について学んだことは、無知の知、つまり未だ何も知らないということだ。いわば、井の中の蛙大海を知るが、大海に飛び込めずといった感覚。

(少なくとも英国の1年で修得できる)経済学修士は、なんせ経済分析や研究を進めるための基礎的なツールを学ぶに過ぎない(以下の記事参照)。

だから正直いって、今得ている知識で、経済活動を理解するのに役立つ新しい理論や枠組みなど到底提供し得ない(少なくとも私は)。

ただ、簡易的な分析で有意義な問題点を提示したり、ある経済政策の効果を定量化してみせたりといったことはできそうだ。何より、1年の鍛錬を通じて、学術論文を読んで自分で勉強さえすれば、何かしら面白い分析に漕ぎ着けるのではないか、といったある程度の自信がついたことは大きいように思う。

さて、話は飛んで、こうした経験から経済学の教育について思ったことが、(数学をあまり使わないような)教養としての経済学を学ぶなら3年でいいんじゃないか、ということだ。一方で、仕事などで経済学をある程度使っていきたいというならば、最低修士くらいは必要だと感じた。

経済学の重要性を考えると、理系の学生が暗黙のうちに修士号を修得するように、経済学も同様に修士まではとりあえず勉強しようとなるのではないか。その際、イギリスのように、修士込みで4年で卒業できれば良いように思った。

2. 友達を作ることは難しい

勉強も大事だけど、友達も同等もしくはそれ以上に重要だと思う。留学前に憧れていたのは、ケンブリッジで知り合った白洲次郎とストラットフォード伯爵の関係。二人は終生の友だったと言われている。

白洲次郎と同じように、私も高貴なる友を作れないだろうかと内に秘めて渡航した。またこうした思いから、なるべく留学生(特に日本人)が少なく、英国人の多いカレッジへの配属を希望していた(以下の記事参照)。

結果としては、留学生の多いカレッジに入ることになったが、私の周りは多くが英国人または英語を母語とするアメリカやアイルランド人だった。

さて、場は整ったように思えるが、そういえば私自身あまり友達を作ることが得意ではなかったことに気付いた。私は勝手に他人との間にATフィールド(心の壁)を張ってしまう癖が強く、心を開けないからだ。

また、スポーツ、洋楽や英米のドラマに興味がないため、英国人と共通の話題が少ない。

多くの日本人に共通するように思うが、実務的なことや自分の研究に関することは問題なく英語で話せる。だが、世間話のようなたわいもない "small talk"を苦手に感じる人は多いのではないだろうか。

ここに、英国人特有の皮肉を効かせたジョークを交えた会話となると、もうお手上げだ。

気の効いたオモロいコメントを練っては、いつの間にか次の話題に飛んでしまうので、話の輪に入れずに、アホみたいに「うんうん」と頭だけ揺さぶったり、「あ〜」だの「ふ〜ん」だの相槌を打ったりしていた。

(日本人は過度と思われるほど相槌を打ちガチなので、なるべく控えるようにはしていたのだが)

「コイツ何考えてんの?おもんねぇ〜な」と思われたと思う。

ちなみに私は英国で15年暮らしていた経験があり、英語もさほど支障がなくてこの有様だ。

なのでこれら全て要約すれば、私はあまり面白い人間ではないということを学んだ。面白さは関西人の専売特許だと思って、今まで気にかけていなかった私だが、今では切実に面白くなりたいと思う。コミュニケーションとは、意識的に向上させるものだと気づけたことも大きい。

3. 学園都市ケンブリッジの魅力

ケンブリッジ最大の特徴は、「学園都市」であることだと思う。

私が学部生の時に通っていた某W大も、街と大学が一体になっているので、学園都市たるものの雰囲気は知っているつもりだった。

だがケンブリッジの場合、全学生が大学の中心から半径◯マイル(学部生と院生で異なる)に住むことが定められているので、より濃密な学園都市なのだ。

同じスーパー、同じ本屋に通い、そもそもカレッジという共通の生活空間があるので、学生は毎日顔を合わせているのだ。その交流の中で、知的な刺激や一体感が生まれるのだ。より広範囲に分散したオックスフォード大や、都会と融合しているロンドンの大学などでは味わえない雰囲気だと思う。

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(画像:多くの学生が通うスーパーの向かいに位置するSidney Sussex カレッジ)

こうした経験から職住近接および家族・友人の近くに住むことの良さを学んだ。逆に、今まで通勤・通学に無駄に時間や体力を奪われてきたことにも気づいた。そして、いつでも家族や友人と気軽に話せる環境があることは、心理的にも知的にも非常に有意義なことなんじゃないかと実感した。

さいごに:今後海外で学ばれる方へ

私自身使ってしまう用語ではあるが、「留学」という言葉に多少の違和感がある。「留学」には、国内で学ぶことが基本となっており、海外で学ぶことが例外的という響きがあるからだ。

ただ、学問に国境など関係ない中で、国内と海外で差を設けることにどれほど意味があるだろうか。むしろ「留学」と呼ぶことで、一種の心理的な壁を作ってしまうのではないか。

もちろん、実際に日本人が海外へある種のハードル(例えば言語面での)を感じているから「留学」という言葉が用いられるのだろう。なので、そのハードルを超えて海外で勉強される方は、さぞ気合いが入っているのではないだろうか。

尊敬している先輩からの受け売りではあるが、そんな海外へ飛び立たれる方々へエールを送りたい。

「留学はたくさん失敗できるまたとない機会なので、たくさん挑戦して、そして失敗もすればいい」

そんな偉そうにいう私は、もっと社交的になろうと意気込んで参加した夜中の屋外パーティーにて、踊りまくっていたら巨大な牛の糞を踏んだことくらいしか、武勇伝はないのだが・・・(やっぱ、オモんないな〜)

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