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【日本とカンボジア】日本軍のカンボジア進駐直後の動勢

日本軍の南部仏印への進駐直後の記録写真を入手したので紹介します。

1941年9月29日、日本軍の南部仏印進駐後のカンボジア。

左から小林歩兵団長、飯田祥二郎第25軍司令官、西村琢磨近衛師団長。飯田は前近衛師団長であり、開戦を想定した演習を視察するために、カンボジアに。
メコン川のジャングルを抜け、カンボジアに物資を運ぶ近衛輜重兵連隊。近衛第5と偵察連隊はカンボジアへ駐屯した。1941年9月9 日
プノンペンに進駐していた近衛第五連隊。この写真の撮影時期や場所については不確定だが、おそらく1941年9月頃のプノンペンではないかと推測される。その後12月にはタイ進出、そして開戦と共にマレーシア、シンガポールと自転車で進軍し、銀輪部隊と呼ばれた。
南方作戦を意識し、密林における機動及び戦闘法や渡河作戦を考えての演習。開戦に備えてカンボジアでも近衛歩兵第五連隊と、機械化が始まった近衛捜索連隊が演習を行っていた。ぬかるみの中で山砲を運んでいる様子と次の写真の機械化された移動風景の差が興味深い。1941年9月
機械化された近衛捜索連隊の様子。この連隊は、元来騎兵連隊であり、師団の機械化によって、馬の代わりに自動車と装甲車が配備された。
1941年カンボジアへと移動する直前、サイゴンでの近衛捜索連隊長北山中佐
1941年9月29日、南方作戦を意識したカンボジア平原での演習の様子。

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