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1月9日は「日本カンボジア国交樹立」の日、その考察

国交樹立70周年記念の公式ロゴ


どのタイミングで外交関係樹立か諸説ありますが、日本政府としては1953年1月9日が日本とカンボジアの外交関係が樹立された日とされています。今日でちょうど70年になります。

歴史を紐解いてみますと、太平洋戦争末期の1945年3月には、明号作戦により帝国陸軍の歩兵第二師団がフランス軍の武装解除にあたり、12日にはシアヌーク国王がフランスからのカンプチア王国の独立を宣言しています。新政府においては久保田総領事が国王顧問になる等、当時の日本政府も協力していた事実が確認できます。翌13日には勅令第5号でグレゴリオ暦からカンボジア暦(仏暦)への復帰、14日には勅令第6号でアルファベットからクメール文字への復帰を定めるなど、フランスの植民地色からの脱却を積極的に進めています。

日本の影響が残る中での独立ではありますが、1953年の外交関係樹立もフランスの独立の影響が残る中での外交関係樹立であり、この1945年3月12日を外交関係樹立の日としないのはなぜか、素人ながらに首をかしげるところもあります。外交的な解釈やルールがあるのかもしれませんが、もしかすると敗戦国ゆえに忖度しての事情があったのかもしれません。その後12月14日に独立は取り消されますが、翌1946年1月7日にフランスカンボジア暫定協定が結ばれ、フランス連合内での一定の自治が認められることになります。

1951年9月4日にサンフランシスコ対日講和会議にフランス連合内の協同国として参加したカンボジアは、署名後に日本に対し外交関係開設の申し入れを行い、日本・カンボジアは相互に承認しました。

その後、フランスを介して、日本から行った申し入れに対して、1953年の1月9日のドジャン駐日フランス大使より岡崎外相外務大臣宛書簡において、日本がフランスを通じて通告した外交関係樹立の希望に対するインドシナ三国の好意的回答がフランスに対して行われたことを通報し、フランス政府も日本とインドシナ三国の公式関係樹立を喜ぶと共に、カンボジア政府が日本と外交関係を樹立する希望を表明している旨の言及がありました。同書簡の中で最終的にカンボジア側の意向が確認されたことにより、外交上この日が日本とカンボジアの外交関係樹立の日と認識されています。その年の11月9日のフランスからの独立宣言を前にした出来事でした。

ドジャン大使による岡崎大臣宛書簡は入手できていませんが、翌月2月12日に岡崎大臣からドジャン大使に対して返信した書簡(亜三第三九号)はこちらです。

この書簡を読むと、日本政府のカンボジアへの領事館開設の動きは、ベトナムと比較して早いのがわかります。バンコクでの折衝等を通じて、この時期には既に戦後賠償についての条件をつけずに早期に国交を樹立したいとのカンボジア政府の親日な方針は、日本政府にも伝わっていたことがわかります。

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