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わたしの中のスイッチガールとその奥にあるエゴについて

おうち時間が始まってから、もうそろそろ1ヶ月。

始まって早々に体調を崩したわたしのおうち時間は、ベッドから始まりました。

その後回復してからも、行動範囲はベッドを超えることはなく。

普段は、平日ばたばたと動き回って、休日はひたすらだらだらする生活をしている…けれども、そんな動き回れる平日はしばらく訪れないらしいと気づいてから、そとゆきのちゃんとした自分と家のぐうたらな自分ついて、改めて考えてみました。

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突然ですが、スイッチガールという漫画を知っていますか?

家の外ではメイクも服装もばっちり、でも自宅では自堕落生活。そんなONとOFFを使い分ける「スイッチガール」が主人公の少女漫画です。

これを読んだ当時(多分高校生かな)、これは自分だと鮮明に思ったのを未だに覚えています。

思い返せば小学生のころから、人前ではちゃんとできるのに家だと途端にわがままになってしまうような、外面のいいスイッチガールでした。

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わたしの中の「スイッチガール」はどこから来るんだろうと考えたとき、思い当たるものがありました。

誰かと会うから、メイクをする、おしゃれをする。
誰かが来るから、部屋を片付ける、料理をする。

そとゆきの「ちゃんと」した自分。行動の先にはいつも誰かがいて、その奥にはいつも「こう見られたい」がありました。

「誰かのため」に見えるその行動は、実はとっても利己的で。

そんなエゴに気づいて、利己的な「誰かのため」から卒業しようとやってみていることたち。

誰にも会わないけれど、パジャマから着替える、髪もそれなりに整える。
誰も来ないけれど、部屋を片付ける、掃除機もかけてみる。
自分のために、一手間かけておやつをつくる、ラテをいれる。

自分のための行動で、自分を大事にする。自分が居心地のよい空間を、自分で整える。

いつ写真を撮られても恥ずかしくないような「#丁寧な暮らし」をする必要はないと思っています。

大切にしたいのは、見栄えよりも居心地のよさ。どう見えるかではなく、どう感じるか。

自分で自分のごきげんをとれるようになるのが大人だよと言うけれど、23歳になる手前でようやく、大人への一歩を踏み出せたみたいです。

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利己的な「誰かのため」を脱却して、自分のための行動と選択を積み重ねたい。自分のごきげんをとれるようになって始めて、誰かのための行動ができるのかな。

わたしのわたしによるわたしのためのおうち時間の充実から、まずは着手してみたい所存です。

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家の周りはすっかり葉桜になっていました

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