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《写真の保存修復を考えてみた vol.15》~保存修復との出会い~ by タケウチリョウコ


今日7月13日の誕生花は「テッポウユリ(鉄砲百合)」です。花言葉は「純潔」「甘美」だそうです。
暑い日々を忘れさせる爽やかな響きですね!
ちなみに私の誕生花(7月9日)を調べてみると「ギボウシ」でした。花言葉は「静かな人」「沈黙」…。程遠い人格です。

こんにちは。タケウチリョウコです。
前回まで写真の技法や劣化について約一年かけて綴ってまいりましたが(ここも保存修復にとって、大事なトピックなんですけども!)。
ようやくタイトルにもある「写真の保存修復」について触れていきたいと思います。
その前に筆者がナゼこの分野に興味を持ったのか?少しお話をさせてください。


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vol.0でもお話をした通り「写真の保存修復」の分野はメジャーではありません。
筆者は大学入学当初はドキュメンタリーのカメラマンを志していました。

もしこの2人の人物に会う事がなければ、今の私は無かったと言っても過言ではありません。

1人目は大学4年生の夏にお会いしたアメリカ人の写真修復家の方です。就職活動も落ち着き、残りの学生時代を楽しむぞ!!っと思っていた頃にお会いして人生は一転しました。
この方が、とっても楽しそうに歴史的な写真や修復する意義について語られていたんです。
そして笑顔で、「日本には専門家がいないのだから君がなればいいじゃないか!」っと言われ、世間知らずの私は夢を見て、すぐさま留学、その後現実に打ちのめされたわけですw

アメリカは写真保存修復の分野では最先端と言われており、大学でも専門のカリキュラムがあります。また博物館や美術館には、専門の修復家が常に資料のケアーにあたっており、プライベートの修復家も存在します。
またフランスでもアカデミックに写真の保存修復を学ぶことができるそうです。
(それでも専門的に学べる教育機関や専門機関は数えるほどですが)


2人目は前回までの記事でも登場している祖父です。とても几帳面な性格で、こよなく写真を愛している人でした。それ以上にカメラの構造(特にライカ)に取り憑かれていたように思います。
祖父は技工士だったのですが、家の工房で様々な機械を駆使し、綺麗にライカを解剖して喜んでいました!
「どうだ!凄いだろ!こんなに部品があるんだぞ!」っと、ようやく物心がついた私に見せてくれた記憶があります。
そして一緒に撮影した写真を整理し、日付やその時の気持ちを紙に書いて、一緒にアルバムや缶に入れて宝箱のように大事にしていたことを今でも鮮明に覚えています。

カメラで撮影する楽しさや、写真を整理する喜びを教えてくれたのは祖父だったように思います。
そして学生時代にお会いした先生方や専門家の影響により写真の保存修復…と、より興味の方向性が鮮明になっていったように感じます。



さて、ここ最近は家で祖父の写真整理をするのが私の楽しみになっています。トップの写真もその一部と思っていましたが、整理を続けていくうちに、祖父のものではなく曽祖父のものであることが判明しました!

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vol.9でご紹介した関東大震災の写真ですが、祖父が撮影したには若すぎ疑惑があり、その他の写真資料を調べていると同じ筆跡の絵葉書がありました。
1910年ブリュッセル万国博覧会の絵葉書でした。時代的に祖父が海外に行ける環境でないので、祖母の父である曽祖父のものであると判明しました。

万国博覧会と聞き、今は話題のパリ万博か?!っと期待して資料を見ていたのですが違いましたw
曽祖父は絵師だったようで、少し名が知れた人物だったようなのです。ずっと腰を据えて調べたいと思っているのですが…。
ファミリーヒストリーは私の第二の楽しみとしてジワジワと調べを続けてnoteでも、たまにご紹介出来たら嬉しいです。

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次回から、写真の保存修復で利用する材料に注目をしていきたいと思います。
またnoteでお会いしましょう。

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