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「むかし試した古典技法の話」Vol.2-ドライコロジオンとの出会い- by K

こんにちは。カロワークスのKです。
徐々に世の中が動き出して参りましたが、
春の陽気を感じることなく梅雨入りとなってしまいました。
雨の日でもその景色を生かした写真を撮る楽しみがありますが、
古典技法は紫外線量が少ないと、撮影が難しくなってしまうので
夏を待ち遠しく思っていたのを思い出します。
ヘッダー写真は今回のお話とは全く関係が無いのですが…新型コロナウィルスの影響で気軽に出かけて撮影、というのも以前のようにはできなくなってしまいましたので、昔に撮った写真を見る機会にもなり、見つけた一枚です。
事態の収束を願うとともに、いい天気の日に出かけてに綺麗な写真が撮りたいな…という気持ちです。

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 さて前回は、写真の黎明期の歴史のお話をさせて頂きました。
様々な写真術が発明されるなかで、その後の写真の基礎になったとも言える技法が誕生します。
それが「ウェットコロジオンプロセス(湿板写真)」です。

 1851年に発明され、その後長きに渡り実用的な写真技法として支持されることとなるこの技法は、コロジオンという素材(水絆創膏とも呼ばれています)に硝酸銀を混ぜて感光液とし、ガラス板に塗布・そのまま撮影することにより、ガラス板の上に画像を定着させることができるというものでした。
画像を保持する膜を作るというイメージになります。
透過する膜という概念は後のフィルム発明にも通ずるものもあり、この発明で大きく写真の在り方が動いたとも言えます。
コロジオンは細微な穴を無数にもつ多孔性物質で、硝酸銀液に浸すと油のように水分を避けて硝酸銀を取り込みます。
一方、液が乾いてしまうと孔が塞がり、感光性が失われてしまいます。乾燥したコロジオンが現像液や定着液を通さなくなってしまうため、その名の通り濡れたままの状態で露光、現像処理をすることが必要です。
ダゲレオタイプに匹敵する非常に鮮明で粒子の細かい画像を得ることができ、撮影にかかる時間が大幅に短縮されました。
その上ネガとして印画紙へ何枚でもプリントが可能、紙ネガよりもはるかに耐久性がある。といった画期的な技法として、その後1870年代末まで写真術の主流となりました。
湿板写真の誕生により、肖像写真が主流であった写真界に風景写真や記録写真の概念が興るようになります。
写真は写真館を経営する写真家だけのものではなくなり、プロアマ問わず自由な作品制作が行われるようになります。
          
 しかしこの技法は、いくら露光時間が短縮されたとはいえ整った環境外での撮影が極端に不便である難点がありました。
感光板の製作から撮影、現像、定着を全てその場で行わなければならないのです。感光液が乾かないうちに屋外で撮影するとなれば、大掛かりな携帯暗室を同行させなければなりません。
19世紀、世界的に旅行者が増加していく中で、旅先でもっと簡便に自分が今見た景色を撮りたいという思いが人々の中に生まれるようになります。
写真家の行動範囲が広がるとともに、撮影に対する負担も増えていきました。
どうにかして種板の感光性を保持したまま持ち歩き、簡便な撮影ができないだろうか…と数多のアマチュア写真家が実験を重ねた結果、
乾いた状態で板を持ち運ぶことのできるドライコロジオンプロセスが誕生します。
まだ見ぬ土地の写真を撮りたい…自分が見たこの瞬間を撮りたい…と思う欲求は写真の可能性を広げ、個人の思想を大きく反映させる媒体となりました。写真の歴史・在り方が変化したポイントという点でも非常に興味深い技法であると思っています。

 湿板写真の精緻さの中にある独特の風合いに惹かれていた私は、当初湿板写真の制作を行いたいと志していました。
しかし、外に出て風景写真を撮りたいという思いがあったため、湿板写真の大掛かりさがどうしてもネックでした。
屋外で携帯暗室を持ち出して歩き回り撮影する……現代日本の都心では現実的ではありませんでした。(それでも挑戦されている方は素晴らしいです!)
必然的に「湿板写真をどうにかして持ち歩くことはできないか」と考えることになります。その私の問いこそ、過去の写真家たちとの意識の共有でありました。
発生の理由や時代、場所が異なっても、その疑問を持つこと、求めていくことはかわらない。私は黎明期の写真家と同じようなことを思ったのだ、というその共有は非常に感動的だったのです。

 ドライコロジオンプロセスの発端は諸説あり、これといった特定ができません。それはほぼ同時多発的に人々の中にこの欲求が生まれ、取り組みが始まったということでもあります。
そして、決定的な技法が確立されていないまま次の時代の技法に移り変わっていく歴史のつなぎ目のような技法ですが、その代わりに数多くの記録やユニークな技法の提示がされています。
これこそ当時の人々が如何にして、技術を改良していくか大いに悩み、そして写真を楽しんでいた、
飽くなき好奇心の現れのように思ってなりません。

 この感覚を追体験することで、私はより深く「写真」を理解することができると確信したのです。
そうして私は、ドライコロジオンプロセスの制作を始めることになります。
「結果だけではなく、至るまでに考えたことや経験したことすべて、自分の制作の糧になる」という考えは
今でも私に強く根付いています。

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 次回はドライコロジオンプロセスの詳しい技法解説や、実際の撮影に際してのお話に入りたいと思います。
歴史や芸術的な話に化学や科学の話が混ざるので、話があちこちに行きがちですが、撮影した写真の画像なども出していけたらと思います。
次回もどうぞよろしくお願いします。









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