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小説「人間革命1巻」②~黎明・再建~

新人間革命9巻「衆望」p.387には、以下のようにある

広宣流布の大指導者である戸田の出獄は、人類の平和の朝を告げる「黎明」にほかならない。彼は、それを第一巻の章名としたのである。

新・人間革命9巻「衆望」p.387

まさに、小説「人間革命」の「黎明」の章は、創価学会の夜明け、仏法建立の夜明け、そして平和への夜明けなのである。

冒頭

新・人間革命9巻「衆望」では、p.388~390にわたって、この冒頭部分を書き上げるため、様々な回想を行っており、その様子が描かれている。そして「戸田の心に思いを馳せた時、脳裏に、ある言葉が浮かんだ」と記述されている。まさに、師匠と弟子の対話の中で生まれ出てきた言葉なのである。

戦争ほど、残酷なものはない。
戦争ほど、悲惨なものはない。
だが、その戦争はまだ、つづいていた。
愚かな指導者たちに、率いられた国民もまた、まことに哀れである。

人間革命1巻「黎明」p.15

 戦争は、なぜ起きるのか。理由は様々である。しかし、戦争とは、そもそも国家の行為である。そして、それは指導者の意向で、如何様にも決まってしまう。
 では、ここでいう「愚かな」とはどういうことであったか、歴史背景を確認しながらみていきたい。

歴史背景の確認

人びとは、八年に及ぶ戦火に、親を失い、子を失っても、その苦しみに耐えてきた。
しかし、一九四五年(昭和二十年)七月ごろには、いつ米軍が本土に上陸するかわからないという重苦しい空気が、人びとの心を締め付けていた。

人間革命「黎明」p.15

 小説「人間革命」では、日本における本格的な戦時開始を1937年からと見ている。これは盧溝橋事件を指しており、日中戦争から日本は戦争へ進んでいったとみている。
 高校教科書でおなじみの山川出版社の「もう一度よむ山川日本史」から、戦争へと導かれる日本の歴史を確認してみたい。

1937年(昭和12)年7月7~8日、北京郊外で日本軍と中国軍の武力衝突がおこった(盧溝橋事件)。

「もう一度よむ 山川日本史」p.301

 教科書にもあるように、1937年に起きた盧溝橋事件を発端に、日本は本格的な世界戦争にコマを進めていく。戦闘が拡大されるものの、当時の認識では、あくまで「事変」であった。「事変」とは、国家の治安に関わる騒動や異常事態を指す近代の戦争用語である。事変である場合、事変後の賠償金等が起きない。盧溝橋事件は、宣戦布告がなかったため「事変」となっていた。

1938年(昭和13)年1月、第1次近衛文麿内閣は、参謀本部が反対したにもかかわらず、今後は「国民政府を相手とせず」という声明をだし、みずから和平の機会を断ち切ってしまった。

「もう一度よむ 山川日本史」p.302

「国民政府」とは、中国の国民党を指している。その国民党に対して「相手とせず」とは、交渉には応じないと言うことである。これを発布することで、日本は中国側が屈すると思っていた。しかし、それは逆効果で戦争を長期化してしまうのである。

日中戦争が長期化すると、国家のすべての力を戦争に集中できる体制をつくることが緊急の課題となった。(中略) 1938(昭和13)年には国家総動員法を制定した。その結果、議会の承認なしに、物資や労働力を戦争遂行のために全面的に動員できるようになった。

「もう一度よむ 山川日本史」p.302

ここでは「日中戦争」と表記されている。当時は「事変」であったが、日中国交正常化の際に「日中戦争」と改めたとのこと。
 1938年に国家総動員法を掲げたことで、徐々に大衆に戦争の火の粉がかかり始める。

1940(昭和15)年9月、日独伊三国同盟条約を締結した。(中略) 三国同盟の成立と前後して、アメリカ・イギリスなど連合国側の中国援助ルート(援蔣ルート)をたち、東南アジアに勢力圏を確立する足場をきずくため、日本は北部仏印(フランス領インドシナ北部)に進駐し、日本の南進政策が開始された。

「もう一度よむ 山川日本史」p.306

南進政策を打ち立てた日本は、実質的にアメリカやイギリスなどを敵に回し始めてしまうことになる。このことで、第二次世界大戦と進んでいくのである。

戸田城聖の軌跡

そんな歴史背景のなか、小説「人間革命」1巻は始まっている。まずは「黎明」「再建」における戸田城聖の軌跡を見ていきたいと思う。

  • 豊多摩刑務所を出獄(p.16)

  • 中野駅に到着(p.23)

  • 新宿で乗り換える(p.29)

  • 原宿を通る(p.30)

  • 目黒で降りる(p.35)

  • 自習学館の焼け跡を望む(p.36)

  • 白金台にある実家に着く(p.43)

  • 着替える(p.44)

  • 勤行をする(p.46)

  • 夕食を皆でとる(p.47)

  • 空襲警報が鳴る中、ご本尊を確認する(p.54)

  • 翌日、渋谷の弁護士を訪問する(p.63)

  • 5日は家にいる(p.69)

  • 6日、友人小沢のところへ訪問。お金を借りる(p.74)

  • ある日、老政客・古島一雄の家を訪れ終戦の時期を聞く(p.92)

彼の再建の戦いは、こうして一日の空白もなく、出獄した翌朝から始まったのである。

人間革命1巻「再建」p.65

出獄した翌日から創価学会の再建のために動き出していることが分かる。

「二百五十万余りの借金か」
巡査の初任給が六十円といわれていた時代の、二百五十万円である。膨大な額の借財である。

人間革命1巻「再建」p.67

しかし、現実は厳しかった。現在の巡査の初任給を20万円とすると、現在の換算で約83.4憶円と試算される。

主要な会員の消息は、ほとんどわからなかった。(中略)会員は、恐るべき退転状態に陥っていた。戸田は、再び御聖訓の厳しさを、しみじみと身で知ったのである。

人間革命1巻「再建」p.102

また、創価学会の前身である創価教育学会の会員の所在は不明であった。
大きな現実にぶつかっている。しかし、戸田の決意は固かった。
次に「黎明」を中心に戸田のその決意をみていきたい。

戸田城聖の決意

「こんな、ばかげたことを、いつまで、やっているんだ!」
彼は、吐き出すように、誰に言うともなく、激しい口調でつぶやいた。その声は闇に消えたが、彼の怒りは燃え盛っていたのである。
”戦争をやって、誰が喜ぶか!平和と幸福への願いは、人びとの共通の念願であるはずだ。(中略) この日本の運命を、なんとか転換できないものか…

人間革命1巻「黎明」p.20

人は、時によって、目の前の現実から逃げ出したくなる。ましてや、自分の力ではどうにもならない時には、尚更である。しかし、戸田はこの現実を直視しながらも、日本の運命を憂いて、その転換を考えているのである。

 戸田は何よりもまず、復讐の念に燃えていた。しかし、軍部政府に対して、政治的な報復を企てようとするのではない。老齢の恩師・牧口会長を獄において死にいたらしめ、彼自身を二年の間、牢獄で呻吟せしめ、彼の肉親をかくも苦しめ、また幾千万の民衆に塗炭の苦しみを与えた、目に見えない敵に対して、その復讐を心に固く誓っていたのである。
 およそ不幸の根源は、一国の政治や、社会機構の形態だけで、決定できるものではない。より本源的には、誤った思想や宗教によるものである。

人間革命1巻「黎明」p.22

彼は心につぶやいた。
”宗教への無知は、国をも亡ぼしてしまった。

人間革命1巻「黎明」p.30

今日になれば、当時の政策や思想が歪曲していたことが分かる。しかし、当時の状況からすれば、それが通常であり、見えない何かによる支配と、行先の見えない未来に不安に押しつぶされそうな世相である。また、国の批判をすれば捕まる時代であった。その根本原因が分かっていた人たちはどのくらいいるのだろうか。
戸田は、この国の状況を見てその原因を、特定の人物に当てているわけではなく、宗教や思想に根本原因があると指摘している。そして、この原因を変えていける方法を知っており、確信があるからこそ、「復讐の念」を燃やすことができる。

獄に入っても、戸田の信条は、破れはしなかったが、彼の戦いは、時に利あらずして、ひとまず敗れたことを、いやでも知らなければならなかった。

人間革命1巻「黎明」p.22

だが、現実として敗れたことは知らないといけなかった。
ここに、創価学会の此岸性の原点があると見える。瞑想や空想、また夢物語や理想の中だけに、創価学会の思想はない。現実を直視し、その中でいかに泥まみれになりながら、勝利の旗を打ち立てていくかを考え抜いてこそ、創価の思想なのである。
そして、決意を新たにされる。

”御本尊様!大聖人様!戸田が、必ず広宣流布をいたします
彼は、胸のなかに白熱の光が放って、あかあかと燃え上がる炎を感じた。それは何ものも消すことのできない、灯であった。いうなれば、彼の意思を超えていた。広宣流布達成への永遠に消えざる黎明の灯は、まさにこの時、戸田城聖の心中に灯されたのである。

人間革命1巻「黎明」p.55

だが、今、この胸中を、誰に伝える術もないことを知ったのである。底知れぬ孤独感が、彼をひしひしと襲った。彼は、また、わが心に言い聞かせた。
”慌てるな、焦るな。じっくりやるんだ。どうしてもやるんだ…”

人間革命1巻「黎明」p.55

この決意、─創価学会的に言えば誓願─ を他者へ伝えることができないと認識している。それは、相手がいるとか、いないとかではなく「術」がないのである。信仰の中には「言葉では表せない残余」のようなものが必ずある。それは、運命的でもあり、神秘的でもある。戸田の場合、虚空会の儀式を体感し、生命で覚知し、そして自身の使命を認識したという、この歓喜を、戸田城聖であっても、この歓喜を他者へ伝えきることができないと感じているのである。甚深たる決意であり、誓願であったことを感じることが出来る。

”焦るな”と心に言い聞かせた。何よりもまず、彼は、目下、保釈の身の上であることを思わなければならなかった。彼は、ひたすら戦争の終結を待つ以外になかった。
そして、その心を誰人にも語らず、知らさず、ただ自己の身近な再建の固めに終始したのである。

人間革命1巻「再建」p.102

そして、自分自身の戒めとして「焦るな」と繰り返し心に留めておきつつも、来る”その時”に向かって、着々と準備を進めるのである。

戸田城聖という人物像

次に、「黎明」と「再建」を通して戸田城聖という人間がどのような人物であるかを見ていく。

"庶民は、雑草のようである。しかし、雑草も生えない野原に、草木が生い茂り、果実が実るはずもない。庶民の強靭な生き方には、時によっては、哲人や宰相にもない、人生の真実が含まれているものだ…。
戸田は、そう思いながら、痩せた首筋を伸ばし、磊落な調子で、しきりに隣の乗客に話しかけていた。

人間革命1巻「黎明」p.27

牧口先生も戸田先生も、そして著者である池田先生も、庶民を愛していた。それは、自分自身も庶民の出であるとの思いがあふれているからだと思う。

天才とは努力の異名なりーそれが彼の信念でもあった。

人間革命1巻「再建」p.80

常なる向上心を忘れない。牢獄でさえも、自信を鍛え上げる場とするのが、戸田の信念である。我々、青年も見習っていかなければならない精神である。

彼を知る人びとは、戸田をヒバリに譬えた。一種、爽快な人生であったのである。
「君はまるで、ヒバリみたいだね。どこか、わけのわからぬ草むらに入るかと思うと、たちまち頭角を現し、遠く常人の届かぬ天まで届いてしまう。あれよあれよと見ていると、またどこかの草むらに隠れてしまう」

人間革命1巻「再建」p.84

夏目漱石は『草枕』の中で、ヒバリについて以下の描写している。

たちまち足の下で雲雀の声がし出した。谷を見下ろしたが、どこで鳴いてるか影も形も見えぬ。ただ声だけが明らかに聞える。せっせと忙しく、絶間なく鳴いている。(中略)あの鳥の鳴く音には瞬時の余裕もない。のどかな春の日を鳴き尽くし、鳴きあかし、また鳴き暮らさなければ気が済まんと見える。その上どこまでも登って行く、いつまでも登って行く。雲雀はきっと雲の中で死ぬに相違ない。登り詰めた揚句は、流れて雲に入って、漂うているうちに形は消えてなくなって、ただ声だけが空の裡(うち)に残るのかも知れない。

日本野鳥の会京都支部 ホームページにて

夏目漱石は、ヒバリの声について記載しているが、人間革命では戸田をヒバリそのものに譬え、その生き方を表している。「何処までも登っていく」という夏目漱石の描写は、まさに戸田に等しい。そして「登り詰めた挙句、声だけが空のうちに残る」との部分も、弟子である山本伸一との出会いによって、登り詰めていく。

古島は、鋭い目をキラリと彼に放ってから、うつむいて、くすりと笑った。
「いや、みんなは、先生は弱いと言ってますよ」
「いや、そうとは限らん。アッ、ハッ、ハッ、ハッ」
古島は、とうとう笑い出してしまった。そして、盤上の碁石を片付け始めた。

人間革命1巻「再建」p.94

 琴線と逆鱗は紙一重と言われる。ここでは周囲からは「弱い」と言われているとの話から始める。場合によっては、逆鱗に触れても良いところである。しかし、古島は「そうとは限らん」と言って笑い出す。逆鱗ではなく、琴線に触れ、相手の懐に入った瞬間である。このシーンでは、古島が「棋譜と見比べて余念がない」(p.93)とある。推察するに、本人自身もあまり強くないと思っているため棋譜で研究をしていたのかもしない。戸田は約2年獄中にいたこと考えると、最近のことは古島のことは知らないはずである。長年の付き合いからの経験と、その行動から瞬時に判断して、相手の懐に入っていったことが考えられる。戸田は相手の懐に入る天才なのだと思う。

まとめ

 学生時代に読んだ村尾行一氏の「牧口常三郎の『人生地理学』を読む」という本を思い出した。この書籍の中で、創価学会の発展の様子を「y=ax+b」に譬えられていた。
(原著を確認する必要があるが、たしか) aが「学会の発展の傾き」とし、原点を通る切片bが「創価学会の思想(牧口思想)」であるとされていた。その中で、学会の発展の傾きが高いことも去ることながら、その思想自体そのものの切片bが高いのである、とあった記憶がある。その部分が、とても印象的であった。
 一巻は、前回の投稿にも書いた通り、著者池田大作先生の等身大である「山本伸一」が出てこない。すなわち、山本伸一を介さない著者の直接的な言葉が、他の巻よりも顕著に表れていると考えられる。その声に耳を傾け、三代会長の精神を読み取りながら、この発展の傾きaを、改めて人間革命1巻から、読み解いて参りたいと思う。

 最後に、上記までの内容に収まらなかったが、印象に残った個所を抜粋して終わりとする。

どんなに有名になり、成功しても、師のない人生は寂しい。二人の人生行路は、既に、この時から大きく隔絶してしまっていたのである。

人間革命1巻「再建」p.82

青年時代の友情は純粋で、清らかではあっても、年を取るにつれて打算的になり、自然に心と心が離れていってしまう。時には、そこに女性や妻が介入してくると一転して醜い嫉妬にも変わりかねないのが、世間一般に見られる友情の姿であるからだ。

人間革命1巻「再建」p.85

時を知ることほど大切なことはない。百千万の作戦も、時を得なければ成功することはない。事業も、人間の出処進退も、時を誤れば混乱と敗北を招くだけである。

人間革命1巻「再建」p.92


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