小説「人間革命1巻」②~黎明・再建~
新人間革命9巻「衆望」p.387には、以下のようにある
まさに、小説「人間革命」の「黎明」の章は、創価学会の夜明け、仏法建立の夜明け、そして平和への夜明けなのである。
冒頭
新・人間革命9巻「衆望」では、p.388~390にわたって、この冒頭部分を書き上げるため、様々な回想を行っており、その様子が描かれている。そして「戸田の心に思いを馳せた時、脳裏に、ある言葉が浮かんだ」と記述されている。まさに、師匠と弟子の対話の中で生まれ出てきた言葉なのである。
戦争は、なぜ起きるのか。理由は様々である。しかし、戦争とは、そもそも国家の行為である。そして、それは指導者の意向で、如何様にも決まってしまう。
では、ここでいう「愚かな」とはどういうことであったか、歴史背景を確認しながらみていきたい。
歴史背景の確認
小説「人間革命」では、日本における本格的な戦時開始を1937年からと見ている。これは盧溝橋事件を指しており、日中戦争から日本は戦争へ進んでいったとみている。
高校教科書でおなじみの山川出版社の「もう一度よむ山川日本史」から、戦争へと導かれる日本の歴史を確認してみたい。
教科書にもあるように、1937年に起きた盧溝橋事件を発端に、日本は本格的な世界戦争にコマを進めていく。戦闘が拡大されるものの、当時の認識では、あくまで「事変」であった。「事変」とは、国家の治安に関わる騒動や異常事態を指す近代の戦争用語である。事変である場合、事変後の賠償金等が起きない。盧溝橋事件は、宣戦布告がなかったため「事変」となっていた。
「国民政府」とは、中国の国民党を指している。その国民党に対して「相手とせず」とは、交渉には応じないと言うことである。これを発布することで、日本は中国側が屈すると思っていた。しかし、それは逆効果で戦争を長期化してしまうのである。
ここでは「日中戦争」と表記されている。当時は「事変」であったが、日中国交正常化の際に「日中戦争」と改めたとのこと。
1938年に国家総動員法を掲げたことで、徐々に大衆に戦争の火の粉がかかり始める。
南進政策を打ち立てた日本は、実質的にアメリカやイギリスなどを敵に回し始めてしまうことになる。このことで、第二次世界大戦と進んでいくのである。
戸田城聖の軌跡
そんな歴史背景のなか、小説「人間革命」1巻は始まっている。まずは「黎明」「再建」における戸田城聖の軌跡を見ていきたいと思う。
豊多摩刑務所を出獄(p.16)
中野駅に到着(p.23)
新宿で乗り換える(p.29)
原宿を通る(p.30)
目黒で降りる(p.35)
自習学館の焼け跡を望む(p.36)
白金台にある実家に着く(p.43)
着替える(p.44)
勤行をする(p.46)
夕食を皆でとる(p.47)
空襲警報が鳴る中、ご本尊を確認する(p.54)
翌日、渋谷の弁護士を訪問する(p.63)
5日は家にいる(p.69)
6日、友人小沢のところへ訪問。お金を借りる(p.74)
ある日、老政客・古島一雄の家を訪れ終戦の時期を聞く(p.92)
出獄した翌日から創価学会の再建のために動き出していることが分かる。
しかし、現実は厳しかった。現在の巡査の初任給を20万円とすると、現在の換算で約83.4憶円と試算される。
また、創価学会の前身である創価教育学会の会員の所在は不明であった。
大きな現実にぶつかっている。しかし、戸田の決意は固かった。
次に「黎明」を中心に戸田のその決意をみていきたい。
戸田城聖の決意
人は、時によって、目の前の現実から逃げ出したくなる。ましてや、自分の力ではどうにもならない時には、尚更である。しかし、戸田はこの現実を直視しながらも、日本の運命を憂いて、その転換を考えているのである。
今日になれば、当時の政策や思想が歪曲していたことが分かる。しかし、当時の状況からすれば、それが通常であり、見えない何かによる支配と、行先の見えない未来に不安に押しつぶされそうな世相である。また、国の批判をすれば捕まる時代であった。その根本原因が分かっていた人たちはどのくらいいるのだろうか。
戸田は、この国の状況を見てその原因を、特定の人物に当てているわけではなく、宗教や思想に根本原因があると指摘している。そして、この原因を変えていける方法を知っており、確信があるからこそ、「復讐の念」を燃やすことができる。
だが、現実として敗れたことは知らないといけなかった。
ここに、創価学会の此岸性の原点があると見える。瞑想や空想、また夢物語や理想の中だけに、創価学会の思想はない。現実を直視し、その中でいかに泥まみれになりながら、勝利の旗を打ち立てていくかを考え抜いてこそ、創価の思想なのである。
そして、決意を新たにされる。
この決意、─創価学会的に言えば誓願─ を他者へ伝えることができないと認識している。それは、相手がいるとか、いないとかではなく「術」がないのである。信仰の中には「言葉では表せない残余」のようなものが必ずある。それは、運命的でもあり、神秘的でもある。戸田の場合、虚空会の儀式を体感し、生命で覚知し、そして自身の使命を認識したという、この歓喜を、戸田城聖であっても、この歓喜を他者へ伝えきることができないと感じているのである。甚深たる決意であり、誓願であったことを感じることが出来る。
そして、自分自身の戒めとして「焦るな」と繰り返し心に留めておきつつも、来る”その時”に向かって、着々と準備を進めるのである。
戸田城聖という人物像
次に、「黎明」と「再建」を通して戸田城聖という人間がどのような人物であるかを見ていく。
牧口先生も戸田先生も、そして著者である池田先生も、庶民を愛していた。それは、自分自身も庶民の出であるとの思いがあふれているからだと思う。
常なる向上心を忘れない。牢獄でさえも、自信を鍛え上げる場とするのが、戸田の信念である。我々、青年も見習っていかなければならない精神である。
夏目漱石は『草枕』の中で、ヒバリについて以下の描写している。
夏目漱石は、ヒバリの声について記載しているが、人間革命では戸田をヒバリそのものに譬え、その生き方を表している。「何処までも登っていく」という夏目漱石の描写は、まさに戸田に等しい。そして「登り詰めた挙句、声だけが空のうちに残る」との部分も、弟子である山本伸一との出会いによって、登り詰めていく。
琴線と逆鱗は紙一重と言われる。ここでは周囲からは「弱い」と言われているとの話から始める。場合によっては、逆鱗に触れても良いところである。しかし、古島は「そうとは限らん」と言って笑い出す。逆鱗ではなく、琴線に触れ、相手の懐に入った瞬間である。このシーンでは、古島が「棋譜と見比べて余念がない」(p.93)とある。推察するに、本人自身もあまり強くないと思っているため棋譜で研究をしていたのかもしない。戸田は約2年獄中にいたこと考えると、最近のことは古島のことは知らないはずである。長年の付き合いからの経験と、その行動から瞬時に判断して、相手の懐に入っていったことが考えられる。戸田は相手の懐に入る天才なのだと思う。
まとめ
学生時代に読んだ村尾行一氏の「牧口常三郎の『人生地理学』を読む」という本を思い出した。この書籍の中で、創価学会の発展の様子を「y=ax+b」に譬えられていた。
(原著を確認する必要があるが、たしか) aが「学会の発展の傾き」とし、原点を通る切片bが「創価学会の思想(牧口思想)」であるとされていた。その中で、学会の発展の傾きが高いことも去ることながら、その思想自体そのものの切片bが高いのである、とあった記憶がある。その部分が、とても印象的であった。
一巻は、前回の投稿にも書いた通り、著者池田大作先生の等身大である「山本伸一」が出てこない。すなわち、山本伸一を介さない著者の直接的な言葉が、他の巻よりも顕著に表れていると考えられる。その声に耳を傾け、三代会長の精神を読み取りながら、この発展の傾きaを、改めて人間革命1巻から、読み解いて参りたいと思う。
最後に、上記までの内容に収まらなかったが、印象に残った個所を抜粋して終わりとする。
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