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小説「人間革命1巻」④~一人立つ~

 小説人間革命では、様々な人物が描かれている。本章の「一人立つ」では、人間革命1巻の中でも、かなり多くの人物が現れる。彼らの姿と、戸田先生の対応を通して、戸田先生自身が変わっていく姿が見えたように思える。そして、それぞれの価値観を整理し、みていくことで現代の私たちの中にも潜む見えない心の内側を覗けるのではないかと思う。

人間のもろさ

 これほどの短期間に、一国の政治が大変革されたのは、世界でもまえなことである。しかし、残念なことには、自国の民衆の自発的な力で遂行した政治革命ではなかった。ことごとくが、他国の指導者によってなされた革命であった。 敗戦という厳しい現実が、何よりも、これらの改革を容易にしたのである。敗戦によって、虚脱状態の極に置かれていた民衆は、これらの改革を切実に身にかんずるいとますらなかった。(中略) 戸田城聖は、この敗戦の現実を見て、国家の脆さというよりも、人間の脆さを知った。そして、誤った思想、誤った宗教が、どれほど人間を脆くするものであるかを、しみじみと感じた。

人間革命1巻「一人立つ」

 日本における敗戦処理は、GHQによるところが大きい。民衆の中から声が上がらないほど、人びとは虚脱状態であった。そんな状況を通しながら、戸田は冷静に事態を把握する。そして、その原因の根幹は国家という一組織ではなく、人間そのものであり、その思想や宗教であるということを指摘されている。

見えない運命的な力

神田は、出版業界の一等地である。印刷、製本、その他、出版業務のすべてに便利な中心地であった。いつの間にか、その中心地に近づいていたことに、戸田は気がついた。

人間革命1巻「一人立つ」p.191

 戸田が経営する日本正学館は、気づかぬうちに、東京の中心部に移転している。一企業家がみれば、当然、会社として儲かっているからだとみるであろう。しかし、仏法者である戸田はそうはみない。「いつの間にか」移転していたのである。これを御本尊による功徳であると認識しており、これから起こす広宣流布の戦いの瑞相であるとみている。

戸田は、創価教育学会の名称を「創価学会」と変えることを考えていた。学会の目的、活動が、教育界だけでなく、日蓮大聖人の仏法を根底として、政治、経済、文化等、全社会の階層に、希望と活力とを与えきることであり、その永久不変の大哲理を流布することを決意していたからである。それには、東京の中心に位置するこの建物も、ひと役買うのは当然なことであった。

人間革命1巻「一人立つ」p.195

 名前を変えるということは、その団体の意味合いが変わることである。名前が変わってもやっていることが変わらなければ、その改名は何の意味をなさない。変えるからには、しっかりとした意味が含まれるのである。
 創価教育学会では非常に限定的すぎる。戦後の動乱の中で、必ず仏法を求める人たちが現れてくることから考えても、大きな器にする必要があり、今後の展望を考えれば、改名の必要性は不可避であった。

青年への期待と退転者の末路

戸田は、青年に強く期待をかけていた。自分が頼りにしていた壮年たちが、全部退転したことで、それは、一層、強い確信となった。彼らが、実に利己的な考え方の持ち主であり、頼るに足らぬということを、いやというほど知ったからである

人間革命1巻「一人立つ」p.196

 戸田先生といい、池田先生といい、いつの時代においても青年へ大きな期待を寄せてくれる。それはここにもあるように、年齢が上がるにつれて、経験が先を行き、打算的になってしまうのであろう。本書では、全部退転したことで、その想いは一層強くなるのである。
 しかし、そんな退転した人々も次第に戸田のもとへ集まってくる。そして、来るものは拒まない。だが、そんな人々は見るも見えぬ、悲惨な状況に陥っているのであった。

軍部政府の弾圧を恐れて退転した人びとは、手のつけようのないほど、ひどい境涯に落ちていた。厳しい因果の実相を、あらためて見せつけられた思いである。
 戦前ならば、指導の通例にならって、罰だと、これらの人びとに厳しく悟らせたに違いない。(中略)戸田は、口の先まで出かかっている罰論を、ぐっとのみ込むのだった。

人間革命1巻「一人立つ」p.200

 「手のつけようのないほど、ひどい境涯に落ちていた」というのは率直にどのような状態であったのかは、計り知れないが、人間革命という小説を通しても書き表せにくいということなのだろう。
 一方、ここでは、創価学会の思想の転換点を感じる。戦前の指導であれば罰論であり、美利善の価値論であった。しかし、大善生活を今解いても無意味であったと言えよう。後の祭りであるからだ。そうではなく、戸田は希望を与えようとするのである。そこで、利益論ーすなわち、功徳論ーを振りかざして激励する。

彼は、まず、御本尊の無量の功力を説いていったのである。真の功徳は、どのように偉大な冥益となって現れるのか、利益論を真っ向から振りかざして、激励するのだった。

人間革命1巻「一人立つ」p.201

 ここで一つ、のは、注目したいのは指導論の変化についてである。

 戦前においても功徳は当然、あったであろう。しかし、牧口先生は功徳論を説くことよりも価値論に重きを置いていた。価値論とは、大善生活を行うことであり「正しいことをしないのは悪いことをしているのと同じである」と説く。これは、すなわち「南無妙法蓮華経」を唱え、説き聞かせていくことである。この大善生活の実践を訴える信仰の形は、比較的西洋哲学に近い。東日本国際大学東洋思想研究所所長でもあり、創学研究所所長の松岡幹夫氏は「創価学会の思想的研究<上巻>」の中に、牧口先生の唱える「大善生活論」は「西洋の価値哲学の仏法化」であったのではないかと言われている。

 ここからは、執筆者の勝手な予想ではあるが、戦前の生活は、西洋文化が一気に押し寄せてきていた時代であった。文化や人の考え方は比較的西洋寄りに染まりつつある中で、精神的な支柱、行動規範を見失っていた時代ではないだろうか。その中で、牧口先生の説く価値論からの切り口は、自身の生活をよくする為には大善を行ずることであるとの指導性は、浸透しやすかったと思う。一方で、時代が戦争の方向に行くにつれて、精神的な支柱が「国家神道」になってしまったのも否めない。日本には、哲学や思想の高低浅深を説く努力が足りなかったと言えるだろう。

 戦後においては、貧困や飢餓が蔓延する中では、大善生活の価値論は、そもそも合わない。現実の世界で、自身がこの信仰をして救われるか否かであるということだ。すなわち、功徳があるかないかだ。当時の人々は、創価学会の実践的な折伏により、功徳を受け救われていくのである。しかしながら、戸田先生は功徳論のみを追求していったわけではない。戸田先生は「生命論」を説いていった。それが顕著に表れるのが、1957年9月8日に発表された「原水爆禁止宣言」であり、ここに「生命尊厳の根幹」が刻まれている。

 さらに池田先生の時代になると、戸田先生の生命尊厳の「生命論」を様々な形で応用し世界へ広げ、浸透させていくのである。それは、仏法間対話における様々な著名人との語らいなどに顕著に表れている。西洋文化が強い中で、本来の仏法はそれとを相容れず、かつ、包含するものであると説いていくのである。

 では、我々の時代においてはどうなのであろうか。私個人の見解では、「師弟論」こそ重要であると考える。池田先生が戸田先生を師と仰ぎ、広布のために戸田先生の願業を達成し続けてきた。この思いに立って、我々の立場から池田先生を師と仰ぎ、池田先生の想いや思想をどう後世に残していくかではないかと思う。ここには、価値論があり、功徳論があり、生命論があり、そして師弟不二がある。この師弟の精神を学ぶためにも人間革命や新人間革命、そして折々の指導や言葉がある。しかし、文字のみに捕らわれることなく、時代に合わせた「新しい発想」と「新しい構想」が必要である。それには、師の想いを巡らし、師と同じ立場に立っていく必要があり、それが達成されるのは、人間革命と新・人間革命を虚心坦懐に読み深め、主体的な行動によるものしかなしえないと考える。

訪問者たち

訪問者は、時を選ばずにやってきた。そのなかでも、最も頻繁に出入りするようになった一群があった。それは、戦前の学会幹部の経済人グループであった。(中略)彼らは、広宣流布という目的に向かって、戸田と共に、生涯をかけて戦う同志ではなかった。自身の苦しい性格上の利害から、戸田に近づい来たにすぎない。戦後の、どさくさの混乱期に、襲い来る嵐をやり過ごすためには、雨宿りの巨木が必要であった。

人間革命1巻「一人立つ」p.203

 戦前の学会幹部陣であったが、本来の広宣流布という目的に向かう同志ではなかった。この後、展開される会話や牧口の一回忌法要を通して、様々な人物が現れる。一度ここで、人物の整理しておきたい。

  • 藤崎洋一:金融関係に詳しい

  • 北川直作:食品会社をつぶした、戸田と同郷で小学校以来の友人

  • 岩森喜三:光学機械の町工場主、運よく投獄されずに済んだ幹部

  • 本田洋一郎:関西商人出身

  • 堀米泰栄:戦時下は総本山の中枢、後の六十五世の法主

  • 細井精道:詳細不明

  • 千種法輝:詳細不明

  • 寺川洋三:牧口門下の第一人者と称していた最高幹部、検挙され拘置所送後やがて節を屈して釈放、雄弁家

  • 宮島辰司:教育者グループの古顔、理論家

 この後の会話の引用は、人物の紹介部分を省くため、文章の頭に誰の発言かを明記して引用する。

戸田:「今大事なことは、誰が広宣流布をやるかだ」
(中略)
本田:「そりゃ、やっぱり理事長が先頭に立つべきだ。戸田君、君がやるべきだ

人間革命1巻「一人立つ」p.208

 「誰がやるか」に対して、誰一人として自分がやるとは言わない。戸田先生の想いに立つと、さぞ寂しかっただろう。しかし、戸田自身こうなることは分かっていたのだ。もし同じ思いに立てるのであれば、戸田自らから連絡を取ろうとしていたのではないだろうか。

”あれほどの大難も、この四人の最高幹部には、なんの影響も与えなかったのであろうか。一本のウィスキーを中心にすれば、いとも簡単に、「われわれがやる」とか、「どこまでもついていく」とか、軽々しく言ってのける人たちにすぎないだろうか

人間革命1巻「一人立つ」p.210

 この「一本のウィスキー」の部分は、人間革命10巻においても同様のたとえを用いた箇所がある。それは、参院選を控えた戸田が各方面の責任者に対して団結を訴えるところである。

「さぁ、団結しよう、と口でいくら言ったって、ばらばらな人の心というものは容易に団結するものではない」(中略)
「創価学会の、これまでの発展というものは、なんの団結によるものかといえば、信心の団結以外には何もなかった」

人間革命10巻「一念」p.68

 ここでは、「一升瓶の団結」と例に出され「酒や菓子による団結は容易だが、信心の団結は簡単なことではない」と言われる。団結とは、容易なことではない。「異体同心」と言っても「異体異心」になることの方が簡単である。しかし、信仰者は同じ信仰に立って団結を図るべきであると諭すのである。

北川:「もう時代は変わりましたよ、百八十度も。同じ轍を踏むはずなんかないじゃないか」
(中略)
戸田:「時代も変わったと言えば、確かに変わった。だが、時代じゃない。所詮、人だよ。死身弘法の信心の人を指しているのだ」

人間革命1巻「一人立つ」p.210

 時の変化は、環境の変化に通じてくる。そして、環境の変化は、人を変化させていく。一方では、決した一人の決意によって、時や環境を変えていくことが出来るーこれを仏法では依正不二と説く。この原理を合わせ見た時に、必ずしも時や環境ではない。だが、人が変わらなければ、同じことを繰り返す。それは歴史をみれば明らかである。
 戸田は、人そのものにフォーカスすべきであると訴えているのだが、その原理は中々理解されず、時や環境が変わったならば、同じ轍を踏むことはないと考えるのである。

信教の自由の時代は、そのまま宗教の戦国時代となるであろう。

人間革命1巻「一人立つ」p.211

 戦後、様々な新興宗教が現れてた。まさに宗教の戦国時代と言える。この戦国時代を切り抜いて世界宗教へとの飛躍を成していったのが、創価学会でなのである。そこには、戦前、戦中と、言論の中で戦い抜いてきたことと、新しい構想と、新しい決意を常に持ち続けてきたからであろう。

戸田:「根本問題は、誰が、何をなすべきかだ。今までのような惰性でいったら、かたちは違っても、同じ轍を踏むことになってしまう・・・」
藤崎:「新規まき直しですか?」
(中略)
戸田:「そんなことじゃないんだ。言うのは簡単さ、藤崎君。全部、新しい構想と、決意で進まなければ、広宣流布は実現できない。わからないかな・・・」

人間革命1巻「一人立つ」p.212

 「新しい決意」は、本書の中で様々な形で描かれてきた。「新しい構想」とは一旦、何だったのであろうか、当時の構想は知る由もない。しかし、その一歩一歩を着実に進めていったことは確かである。

 この戸田と経済人たちとの話の個所に関して、佐藤優著の「21世紀の宗教改革」で面白い記述があった。この書籍は「人間革命1巻」を佐藤優氏のキリスト教プロテスタント神学の角度から読み解いている。本投稿は、この書籍も参考にしつつも、創価学会員の角度から見ている点が異なるという注釈として付けたいておきたい。

宗教者にとって、もっとも辛いのは、信仰の同志であるはずなのに、不十分な信仰しかもっていない人々と教団運営をしなくてはならないときだ。そういうときに、教団指導者は、信仰の強い人々で教団を固めようとする誘惑に陥ることがある。しかし、そういう「純粋化」を目指す教団は、例外なくカルト化し、広範な民衆に影響を与えることができなくなる。

21世紀の宗教改革「第14章一人立てる時に強きものは、真正の勇者なり」

 事実、信仰には、浅深はあるものだ。しかし、創価学会の中では同じ土俵の中で活動し信仰を強化していく。それは様々な機会や組織内の役職によって強化を図っていく。創価学会内では信仰の浅深による上下は基本的には関係はない。また資本の有無での上下もない。様々な職業の人がいて、様々な悩みがあり、様々な考えの人がいる中で、どのようにこの仏法を行じ、幸せになるかを追求していく。つまり、多くの人々を糾合するという組織活動を通して、信仰を深めていく。そして、それが宗教が陥りやすいカルト化を防いでいるとも考えられる。

「どうか諸君も、これから悔いない信心をしていただきたい。後になって、法華経に名を残すか、残さないかは、ここ二、三年の信仰いかんで決まってしまう。
 信仰は体、事業は影であると大聖人は仰せなのだから、信仰を中心として、学会の発展と事業の成長を、ともに願っていこうじゃないか
戸田は何を思ったか、急にそう言って、経済人グループを激励した。

人間革命1巻「一人立つ」p.239

そして、戸田は、現存のメンバーに激励し、信心の実践を促すのである。

宗門の同志

 日蓮正宗寺院の歓喜寮で、堀米泰栄住職と会う。そして、互いに決意し合う。堀米は、牧口と戸田とともに宗門内で奔走した一人であった。

後に六十五世の法主となった堀米は、戦時中、数々の難局打開に奔走した。
そのころ、軍部政府は、思想統一政策の必要から、宗教の統制にまで乗り出してきた。彼らは、日蓮大聖人の教義に基づくとされている各宗派を、身延山久遠寺を総本山とする日蓮宗に合同させ、一宗にとりまとめることを、たくらんだのである。日蓮正宗の僧のなかにも、軍部に迎合し、神本仏迹論などという誑言を唱え、あまつさえ政府当局の言うままに、日蓮宗との合同をたくらんで、獅子身中の虫となった者さえあった。

人間革命1巻「一人立つ」p.227

 堀米とは戦った場所は違うが唯一、戸田にとっての本音の決意を言い合うことのできた人であったのであろう。そして、それは堀米にとっても同様であったのだ。

堀米:「かつてない大難に遭ったことは、いよいよ正法が、前代未聞の興隆をする瑞相にちがいない。戸田さん、本山側は、私が引き受けた。外護は、あなたに頼みますよ
(中略)
戸田:「この戸田の生きている限り、断じて御本山を安泰にお守り申し上げます。ご心配くださいますな。ただ、出獄後、まだ事業の見通しも得ませんので、しばらくの猶予をお願いいたします」

人間革命1巻「一人立つ」p.222

 戸田の構想では未来を見据えている。そして、青年を求めていたに違いない。

広宣流布は、誰がやらなくても、この戸田が必ずいたします

人間革命1巻「一人立つ」p.237

 師子は伴侶を求めずー伴侶を心待ちにした時、百獣の王、師子は失格する。師子には、絶対、孤独感はない。伴侶は求めずして、ついて来るものだ。広宣流布の実践は、師子の仕事である。自分が師子でなければならぬなら、伴侶は断じて求むべきではない。自分が真の師子ならば、伴侶は自ら求めて、自分の後について来るに違いない。
 要は、自分が真の師子であるかどうかにかかっている。まことの地涌の菩薩であるか、否かだ。
”俺は師子でなければならない。師子だ。百獣であってはならない”

人間革命1巻「一人立つ」p.241

 SOKA net 教学用語において、師子とは「①アーリヤシンハのこと。②サンスクリットのシンハの訳で獅子とも書く。ライオンのこと。」とされる。②の意味で良いだろう。 
 「広宣流布は私がやる」と声に出して宣言したことで、自身のやるべきことが明確になったと捉えられる。そして「師子は伴侶を求めるべきではない」と気づき、誰かに頼っていた心を一掃したのだろう。
 人は自分が創造したこと以上のことはできないと言われる。そしてその創造を達成するのには、ものすごく大きな勇気がいるものである。当然、他者の共感や意見、協力をもらいたくなる。特に、歴史上前代未聞の世界広宣流布を進めていく上で、当然と言えば当然である。また、今までそばにいてくれた師の牧口もいない。しかし、牧口の前で声にして宣言をすることで、自分自身全てをやり遂げてみせると誓ったのである。そして、来るべき共に戦ってくれる地涌の菩薩は必ず現れるとの確信の中で「一人立つ」のである。

本章を通して

 今回、人間革命1巻の精読を始めて、一番最初の投稿で人間革命12巻「あとがき」の中で、気になっていた部分があった。

(戸田)先生のご生涯は、そのまま一個の人間の偉大なる人間革命の軌跡であり、それを書き残すことによって、万人に人間革命の道を開くことが可能になると確信していたからである。

人間革命12巻「あとがき」p.494

 この部分を読んだとき、戸田先生自身の人間革命の軌跡が記載されているのか、正直なところ疑問であった。
 我々学会員(私だけかもしれないが)は、三代会長の成長過程というのをあまり気にすることはない。牧口先生といい、戸田先生といい、池田先生は、師でありその存在自体が、私たちの仏法者としての生き方の実践的模範である。そのため、その成長過程であったとしても、その指導や振る舞いそのものが実践者としての振る舞いであり完成者として捉えている。
 しかし、今回、人間革命1巻を精読しながら、気になった個所などを引用し、なぜ気になったのか等、文章化を試みてきた。人間革命1巻に迫っていくと、戸田先生自身が変わっていく姿が見えてくる。
 特に、本章においては「指導性を変えたところ」と「広宣流布宣言し伴侶を求めていた自分を一掃するところ」では、戸田先生自身の人間革命の姿を顕著に感じた。

 このように鑑みると、改めて「小説」という形で残されたことに、とても深い意味と価値があると実感した。私自身が師匠の想いに迫っていくためにも、このような取り組みは継続して、私自身の挑戦としていきたいと思った。

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