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真夏のピークが去った♪汚れつちまつた悲しみに……

真夏のピークは去ったのかしら。

9月になっても真夏のような日がありました。
ヨーロッパでは9月に雪の日も……
気候変動の影響が顕著に現れています。

暑さ寒さも彼岸まで。というから、1週間後はすっかり秋かな。

「真夏のピークが去った」という歌いだしのエターナルソング、聞いたことありますか?

フジファブリック『若者のすべて』7Nov2008

心を掴むメロディと歌詞。


歌いはじめの「真夏のピークが去った」

これが、期間限定でいいです。
当時の気候なら、夏休みあけて学校が始まる9月1日前後のことかな、と思っています。

そして、「最後の花火」と「夕方5時」の情景も目に浮かびます。
「運命」は便利な言葉なんですね。

ぜひ聴いてみてください♪

この曲を作った志村正彦さんは2009年12月に急逝しました。
29歳の若さでした。

最近、筆者の脳裏をよぎった言葉があります。

「汚れっちまった悲しみに」

この言葉を残した中原中也(ナカハラチュウヤ)は、1973年10月、30歳の若さでこの世を去りました。

中原中也『汚れつちまつた悲しみに……』

汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる

汚れつちまつた悲しみは
たとへば狐の革裘(かはごろも)
汚れつちまつた悲しみは
小雪のかかつてちぢこまる

汚れつちまつた悲しみは
なにのぞむなくねがふなく
汚れつちまつた悲しみは
倦怠(けだい)のうちに死を夢む

汚れつちまつた悲しみに
いたいたしくも怖気(おじけ)づき
汚れつちまつた悲しみに
なすところもなく日は暮れる……

中原中也詩集『山羊の歌』より

似てる?フジファブリックの志村正彦さんと詩人の中原中也さん

志村正彦さんと中原中也さんをの作品を並べたのは、

・代表作を残して若くして亡くなったということ
・大御所からその才能を認められていたということ

そして、どこかしら似た面影があるからです。

志村正彦さん
中原中也さん
(この写真は、加工された宣材写真だった!畑綾乃先生のコラムに書かれています)

お二方共に詩人の目をお持ちで、情景描写の言葉が綺麗。

中原中也さんは、フランスの詩を学び、宮沢賢治作品を愛していました。

詩人の目は、多くの人が気づかないところに光を見出し、音もよく捉えます。

ところで、中原中也さんの写真が加工された宣材写真だったことについての詳細はこちらです。
横を向いていた目線を正面向きに変えて、黒目に光を入れてあったとは……

NHK高校講座は文学作品を味わうのにとても素敵なコンテンツ

>コラムを書かれた畑綾乃先生に掲載許可いただいています。

中原中也がお酒の席で太宰治に絡んでいたエピソードが残っています。
繊細な感受性を持つもの同士、共感し合うところはあったに違いありません。
太宰治からも中原中也の輝く才能は見出されており、早すぎる死は惜しまれました。

「汚れつちまつた悲しみに」の意味

芸術は、受け手が自由に感じていいものです。

鑑賞者は、芸術作品を通して新しい世界を知る、癒される、自分を知る……
作者自身の心境に思いを馳せ、作品の表れ方を味わう、想像する……
意味がわからなくても、普遍的なテーマは老若男女の心をつかんでいることが多いと思います。

現代の言葉の表記で「汚れっちまった悲しみに」

なぜこのフレーズは印象に残るのでしょう。

悲しみは、自身の心の所在が泣いている、内省的な内向的な感情です。

喜怒哀楽の中の一つ、かなしみはどんな人間も持つ感情です。

哀しみと悲しみ、この漢字表記についての考察をしてみるのも面白いです。
漢字のつくりの違いで見た目から受ける印象も違いますし、音読みにすると、
哀はアイと読めて、悲はヒと読めて、音から受ける印象も異なります。

今日は中原中也がなぜ、悲しみが汚れてしまったと表現したのか、筆者の感じるところを書いてみます。

1930年頃に発表された『汚れつちまつた悲しみに……』は、中原中也が父親となり息子文也との悲しいお別れをする以前に創作されています。哀悼の悲しみではありません。

この詩の背景には、親友の小林秀雄に三角関係の後に恋人を奪われたということが影響していそうです。

京都で女優業をしていた泰子さんは、中学を中退した中原中也と共に上京。
1925年の春でした。
上京して程なくして、東京で出会った小林秀雄と泰子は同棲しているというから、中原中也はさぞかし寂しい思いをしたのではないでしょうか?

大学受験を理由に上京していたのですが、受験しなかったり、入学しても5ヶ月で退学してしまったり。世間的にはなかなか評価されにくいエピソードが残っています。
フランス語とフランス文学を学びたい気持ちがあったのでしょう。大学中退後にはアテネ・フランセに入学。1927年には自分の詩集の刊行を考え始めたといいますから、フランス語を学び元気を取り戻していったことが伺えます。

『汚れつちまつた悲しみに……』の詩は、きっと上京後の苦悩の時期に書かれたのだと推測されます。

さて、この言葉が印象深いのは、

悲しみ が 汚れる 

というように、わかるようなわからないような、独特な表現をされているから。

悲しいとき、涙が出るでしょう。
涙は自分自身の心持ちを浄化していきます。

しかし、その涙の理由が、親友に恋人を奪われてしまったことだったら、
ただ悲しむだけでなく、憎しみを覚えてしまっても不思議なことではありません。
人の感情、好意の移り変わりは、止めることも、どうすることもできません。
中原中也にとっては、京都で出会い、一緒に東京まで連れ添った大切な泰子です。

裏切られた。

という気持ちが湧いても不思議ではありません。

後になって、小林秀雄のことを許している様子なのは、同じ方向を見ている文学界の同士で同業者であったからでしょう。東京帝国大学文学部仏文科の小林秀雄に引け目を感じていたことも想像されます。

理想の環境にいる小林秀雄には敵わないと身を引いたのかもしれません。

こういう時、どのように気持ちを整理するでしょうか?

泣いても晴れない心。
悲しみにどっぷり浸りつつ、「なぜ?」「あの時の約束はなんだったのか?」
自身への嫌悪も生まれてしまいそうです。

哀しみでなくて、心非(あら)ずの悲しさは、
憎しみや怒りといった、汚れた感情をも含んでしまったように思えます。

きっと中原中也さんは、純粋な心の持ち主で
「デクノボーになりたい」とうたっている宮沢賢治が好きなタイプだから
戦わずに、譲ったり、諦めたりしたこともあったでしょう。
お酒の席で、抑えている感情を解き放していたような気がします。

ご実家が医者の家系で、不自由なく生まれ育ったことも関係していると思います。
ズンズンどんどん行く心持ちは生まれにくく、負けるもんかの底力が少なそうに感じます。

苦悩は芸術を産む着火剤で、葛藤は芸術を深めます。

ただ「悲しい」だけでなく、どうしても処理できない悲しさを抱えた時、
抱きたくない負の感情も湧いてきた。
そのことを「汚れっちまった」と表したのたのではないでしょうか。

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