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佐伯祐三 ー 自画像としての風景@東京ステーションギャラリー

 佐伯祐三といえば、パリの街並みを描いたことや、ブラマンクの叱責を受けて作風を変え続けたこと、若くしてパリで亡くなったことぐらいで、彼の作品をしっかりと見たことはありませんでした。短いが、濃密だったといわれる画業を、東京では18年ぶりとなる回顧展を観賞することで深く知ることができるかもしれないと思ったのがきっかけでした。「風景としての自画像」という企画展のタイトルにも、どこか心が魅かれるものがありました。


 フライヤーによると、夭折した画家の代表作を一気に展示し、その生涯を改めて見直すことが狙いだそうです。とりわけ大阪、東京、パリの3つの街に着目し、それぞれの地区で描いた作品を順を追って展示することで、作風の変遷をたどることができるとされています。

 展覧会は大阪中之島美術館が所蔵する作品を核として下記のように展示・構成されていました。

プロローグ 自画像
第1章 大阪と東京
第2章 パリ
第3章 ヴィリエ=シュル=モラン
エピローグ


 《立てる自画像》については、別に書きたいことがあるので、その他の気になった点を2つ挙げます。

 まずは、どうして佐伯はパリの街並みに魅了されたかです。その理由を理解したくなり、カメラを引っ張り出して東京・上野や御徒町を歩き回りました。まずは《ガス灯と広告》のような写真を撮ろうと考えました。《ガス灯と広告》は、10枚ほどの大きなポスターが貼られた黄土色の壁を描いた作品です。踊り子が描かれたポスターもありましたが、勢いがあってポスターからはみ出したりする文字や壁の存在感にどうしても注意が向いてしまいます。ガス灯は、ランプ部をしっかりと描いているにもかかわらず、柱は文字と重なり合って判別しにくくなっています。また、左端には2人の人物が描かれていますが、形態はしっかりと描かず、色だけで表現されています。この作品と同じような写真が撮れないかとできるだけ多くのポスターが貼られている場所を探しました。ガス灯の代わりは街灯です。壁から少し離れた場所からシャッターを切りました。しかし、僕自身の腕のまずさもあって、面白い写真にはなりませんでした。正確に写し撮れてしまうカメラの特性なのでしょうか、ポスターに描かれた文字の意味が前面に出すぎてしまったと感じました。壁も何だか頼りなさげです。もしかしたら異邦人の佐伯にとって、壁の存在感を描くことが重要で、フランス語で書かれた文字は、あくまでも風景を構成する要素の一つとして考えていたのかもしれないと思い至りました。

 次に狙ったのは《共同便所》です。御徒町公園にあったトイレを撮影しました。立方形で佐伯の作品とはかなり違っていましたが、正面からみると障害者用も含めて入り口は3つ。正面には木製の細長い柱がが等間隔に並び、向かって右側には丸い窓がありました。最近、建てられたばかりなのでしょうか、とても清潔感がありました。水のみや遊具が画面の中に入ってしまいましたが、それも含めて撮影しました。凝ったデザインを面白いとは感じましたが、こんな機会でなければ、あえて撮影しようという気持ちにはなれなかったと思います。佐伯は観光名所も公衆トイレも同格だと感じていたのでしょうか。


 気になったものの二つ目は、東京駅のレンガ壁が、そのまま展示室に生かされていた点です。佐伯が青春時代を送っていた1910年代にレンガを多用して建てられた建物だそうです。異国情緒のある建物は作品を展示するにはうってつけの場所のように感じました。レトロな雰囲気で僕自身も、彼が生きていた時代にいるような気持ちにもなりました。


 本展覧会を通じ、佐伯が同時代のたくさんの画家に影響を受けたことを知りました。わずか4年の画業で作風を変え続けながら、多くの作品を仕上げた凄みも感じることができました。長く生きていたら、どんな作風に変わってたのでしょうか。また、佐伯になったつもりで街並みを歩き回ることで、彼の関心や感性の一端に触れることができました。鑑賞後も長く余韻を楽しめる展覧会でした。            (観賞日:令和5年2月11日)

会期 2023年1月21日(土)~4月2日(日)
会場 東京ステーションギャラリー
主催 東京ステーションギャラリー(公益財団法人東日本鉄道文化財団)、読売新聞社

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