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お接待のこころ【高野山・町石道】

高野山のふもと、九度山町「慈尊院」から高野山金剛峰寺「根本大塔」まで続く町石道(ちょうししみち)。かつてお大師様(弘法大師空海)が月に九度、母の元へと通った道だと伝えられています。全長約22㎞の道のりには1町(約109m)ごとに町石と呼ばれる石柱が建ち、それが町石道と呼ばれる所以となっています。

その町石道の147町石と148町石の間には、かつて「接待場」が設けられており、毎年3月21日、お大師様が入定した日には、近くに住む教良寺(きょうらじ)村の人たちが集まり、高野山へと向かう参詣者に握り飯やお茶をふるまうお接待がおこなわれていました。
ところが大正時代、南海電鉄高野線が開通し、徒歩での参拝者が減ってゆくにつれ、お接待の風習は廃れてしまったそうです。

五輪塔を模した形の「町石」

長きにわたりボロボロのベンチと古いお大師様の石像が残るだけの「接待場」でしたが、かつらぎ町役場の働きかけで2019年11月、「高野七口再生保存会」が新しい木製のベンチを寄贈。2020年3月21日には有志の人たちが集まり、95年ぶりにプチお接待を復活させました。
また、11月24日には大師号下賜1100年記念法会に合わせて案内板が設置され、やっと町石道を歩く人たちに「接待場」の歴史を伝えられる場が整ったということです。

ベンチと案内板が設置された「接待場」

そんな経緯のあった「接待場」を私たちが訪れたのは今年の11月下旬でした。「接待場」の復興に関わってこられた北岡英二(ひでつぐ)さんに案内していただき、初めて歩いた町石道は背の高い木々に囲まれた、山の中の静かな道でした。明るい木漏れ日の降る上り坂をしばらくゆくと、山肌がぐるりと削られたような、ほんの小さな広場が現われ、「接待場」と書かれた赤銅色の案内板の奥には、和やかなお顔のお大師様の石像が年月を経た色合いで佇んでいます。北岡さんが示してくれた石像の台座の横には「天保壬辰(みづのえたつ)」と彫られており、1832年3月21日に建てられたものだとのこと。約190年前、江戸時代の人たちはこのお大師様の石像を高野山奥之院への遥拝所とし、大切にお祀りをしていたそうです。

約190年前に建てられた、お大師様の石像

ところでこの日、北岡さんは事前に「プチお接待セット」を用意してくれていました。「接待場」までの道中、町石道をすれ違う人たちに、
「どうぞ、お接待です」
と、袋の中からみかんを取り出し手渡すと、誰もが最初は驚いた顔になり、その後ゆっくりと笑顔が広がります。お接待をする人と受けた人、両方でお大師様の福を分け合っているような、温かな空気が生まれました。
「接待場」に着いてからは北岡さんが持参してくれたテーブルを組み立て、カフェオレやみかん、チョコレートや焼き菓子を並べて、前を通る人たちに声をかけました。中には、
「鳥取から来ました。四国八十八所を4年かけて徒歩で回り、結願のために高野山へ行きます」
という若い男性も。柔道をしておられるということで、歩くともっと強くなれるかも、と、軽い気持ちで始めたということですが、霊場巡りは本当にご縁のものなのだな、と感じた出会いでした。

結願のため、鳥取から来られた男性

「接待場」のベンチの向こうは奥行きが深くなっていて、そこには一面、ミツバが茂っています。
「このあたりにミツバは自生してないので……接待のみそ汁の具にするために植えたものが広がったんかな」
と、北岡さん。ここにはかつて厨(くりや)が建ち、お接待のための煮炊きがされていたのではないか、と考えられているそうです。
「接待場」についての文献はほとんど残っていないため、まだまだわからないことが多いとのことですが、いきいきしたミツバの群生を見ていると、この場でご飯を炊いたり、お味噌汁の支度をしていた遠い昔の教良寺村の人たちが身近に感じられ、不思議な気持ちになりました。

良い香りのミツバの群生

この日はお天気に恵まれ、適度に伐られた木立の間から、紀ノ川がゆるやかに流れるさまが見えました。この間伐も、町石道を歩く人たちに紀ノ川の眺めを楽しんでもらうためにおこなわれたとのこと。
世界遺産に登録された場所に手を入れるのは、たとえ良いことであっても手続き等、いろいろと難しいらしいのですが、お接待の復興を願ったさまざまな人が実際に行動を起こすことにより、朽ちたベンチと古い石像があっただけの場所が再び「接待場」として甦りました。そして、地域の人たち、町石道を歩く人たちと共に、新たな歴史を刻んでゆく場となっています。
お接待でみかんをひとつ受け取った女性が、
「今日はね、何だかいいことがある気がしてたのよ」
と、とびきり明るい笑顔を見せてくれた時、みかんというモノだけではなく、お接待の気持ちを喜んで受け取ってくださったのだと感じました。古い時代から続いてきた「接待場」での気持ちの受け渡し。北岡さんを始め、多くの人たちの活動がずっと先の未来へと受け継がれることを願っています。

(ライター部:大北美年)


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