見出し画像

毒親からは距離を置くのみ。

春にやっと父親が死にました。
二十年以上両親と言葉を交わさず、危篤の報せにも出向きませんでしたが、法律上の問題もあるので喪主として葬儀は恙無く執り行いました。

葬儀前から嫌な予感がありましたが、父親以上に母親がラスボス振りを発揮。

葬儀後あれこれ手続きを巡り、両親共に家族を私物化してきた記憶が瞬時に蘇り、兄弟達をバラバラにした忌まわしさも新鮮な味わいを復活(兄は行方不明ながら、両親が捜索した形跡は無い。むしろ、何か事実を知っている気がする)。
具体的なことは今は伏せておきます(今後チラチラと織り交ぜると思います)。

いずれにせよ、こうした親は法律的に縁が切れないのは仕方ないが、没交渉を貫くより無いのです。受け入れる態度は、全てを振り出しに戻して、事態を必ず悪化させてしまいます。


リヤ周りを少し変えました

二輪車に傾注する奥底の理由はこの事情です。
単純に、二輪車が好きな気持ちも事実。
ジオメトリーを工学的に調べる興味は、仕事にもなりました。
ただ、理性でなく感情のこととなると、猛烈なパワーの機種(環境)でないと受け止められないほど、激しいホイールスピンを起こす感情です。

今は随分理性的になりました。
仕事では、存分に激しい感情を社会的に昇華できる職種と立場に恵まれました。民間企業で30代半ばに重役も経験し、職種もかなり特殊な、自由裁量の大きなもので、社会正義の名の下に相手を追い込むことの出来るもの。

でも、こうした感情を鎮静することは多少なりとも出来ても、消し去ることは出来ませんでしたね。

トリガーが時々感情をスピンさせます。

若い頃はハイパワーのバイクで諌めましたが、今はカブで。
乗ると感じる穏やかさがふしぎです。
またその辺のことは、追々と書いていきますね。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?