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『aftersun/アフターサン』(2022)

「We know the perfect」

映画終盤のあるシーンで看板が見切れて映る。そこには「We know the perfect」と書いてある。その看板は地図のようであった。そのあとには「We know the perfect place」とでも書いてあったのだろうか。
私はとにかく「We know the perfect」がこの映画の中心であると思う。

簡単にそれぞれが何を指しているのかを整理していく。
「perfect」は二人が過ごした夏休み、その時間と記憶である。ではこの「perfect」はだれが、いつ、知ったのか。

・だれが
これはもちろん父と娘である。しかし二人の「perfect」はそれぞれ違った意味合いを持つ。

・いつ
父の場合、現在進行形の「perfect」であり、自分が過ごしているこの時間永遠ではなく、いずれ終わりの来るものとしてその憂鬱さに苦しむシーンがいくつか見られる。わかりやすい場面として、
①娘の「楽しかった日の次の日は憂鬱になる」といったセリフに対して父が鏡面に唾を吐く
②別れた後、娘にもらった手紙に対して慟哭する
③娘を見送った直後、レイブパーティーに戻る
といったシーンがあげられる。

娘の場合、大人の姿でホームビデオを見るシーンが挟まれる。彼女は「perfect」を大人になって知ったのだ。それは「perfect だったもの」として映し出されている。彼女が過ごした「perfect」はすでに過去のものであり、その記憶がホームビデオの断片的であいまいな記録として悲しげに映る。

「perfect」のその後を生きる二人

夏休みが終わり、二度と戻らない日々を過去に残し、その後を生きる父
大人になりホームビデオを見かえし、二度と戻れない日々を思いながら、その後を生きていく娘
時間の不可逆性によって「perfect」を所有することなく、喪失感を与えるのだった。私は「その後」をどう生きればよいのかわからず、涙を流すばかりであった。


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