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早起きは一日にしてならず

私が唯一自慢できる習慣は、朝起きるのが早く別に苦でもなんでもないことだ。二十六年の人生の中で遅くとも六時前には起きていることが殆どだった。代わりに夜寝るのが早いので、ただの超朝型人間であるのだが。
こうなったのは本当に人生レベルでの習慣づけによるものだと分析した。

ただ早起きになったからといって、その朝をどう過ごすかによって深夜の夜ふかし以上の堕落を味うので気をつけるべし。

超朝方のきっかけとなったのは幼稚園の頃。
その時に貰った幼稚園児に向けた小冊子をもらい、後ろの方のページに一日の習慣みたいなことが書かれていた。朝は何時に起きて、ご飯を食べて、幼稚園に行って……みたいな内容だったのだが、なんと就寝の時間が夜の八時だった。
もちろん幼稚園児の目安なので、小学生からでも「早っ」と突っ込みたくなると思われる。ただ私はそれが”正しい”ことなんだと思って早く寝るようになり、その習慣がただ続いた。あと父は夜勤、母も夜遅くまで起きるタイプではないのも要因の一つだ。

なにせ小学生の時だって九時前には寝ていた。九時以降にやっているドラマやバラエティ番組は全く知らなかったし、クラスでの話題についていけていないことが多々あった。途中で録画機器を買ったのもあって、なおさらわざわざ遅く起きることもないわけで。
中学高校でも深夜アニメを録画、あるいはサブスクで見ることができたし、なおさら夜遅くまで起きることはなかった。

社会人になってもそれは変わらず、夏は四時から五時の間、冬は五時から六時の間に目が覚めることが多い。冬は特に睡眠時間が長くなる傾向にある。寒さで起きるのに苦労するからだろう。

巷では(少なくとも私の見た限りでは)、早起きが得であると口を揃えて言っている。実感として確かに得する場面はある。

朝早く起きて交通量の少ない国道や高速をドライブできる(教習所で習ったときにはこの時間帯が最も接触事故が起こりやすいとか)、勉強や作業も何者にも邪魔されずに始めることができる。たしかに得ではある。ただしその人の生活状況によっては、堕落の一歩でもあるのだ。

例えば、朝一に起きてゲームを遊んだり、SNSで時間を潰したり、なんとなくでやってしまうことで潰してたりしないだろうか。

はい、私のことです。

特に朝一での新作ゲームやっている気持ちよさと楽しさといったら……これに関しては趣味を最大限満喫できているし、年に2〜3作品ぐらいなので棚の上に置いておいて。
早起きして時間を作ったとしても、”なんとなくの行為”で朝の時間を浪費してしまうのは、せっかく早起きをするために努力したのに「結局駄目だった」と自分を攻めてしまう結果をもたらす。特に何かをしようと意識を変えた誇り高い人たちを、私のように堕落の道へ連れて行くわけにはいかない。

分かっていると思うけど、せっかく頑張って早起きという習慣を手に入れたのだから、自分にとって大切なことに誠心誠意こめて使ってください。

私も自分自身への戒めとして、この文を残しておきます。

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