明日を思える人類という種

これは地球上の生物で、人類が唯一持ち得る特性らしい。採集狩猟から農耕社会へ移行して、作物を育てるために天候を一喜一憂しなければならなくなった。明日は晴れか、雨か。生存に直結するためには、明日あさってのことを考えてしまうのは必死だろう。現人類にもこの性質は当然引き継がれているが、別のものを信じるようにもなった。ここではその話はしないが、まず未来を見るようになってから、人類に新しい機能が加わった。

元々、農耕社会前の採集狩猟民族は明日のことを考える余裕はなかった。その日のご飯を食べるためには、目の前の危険に注意を向けていなければ生存の確率は低かった世界だった。それが何万年も続いていて、未だに現代の生活が採集狩猟の時代を超えたことはない。現代は目まぐるしい進化を遂げていて、いまこのときがピークの連続を迎えているのは誰も否定しようができない事実だ。その変化に適応しているものは極わずかで、大半の人達はその流れに取り残されないように奔走している、というのが現代の特徴だと思う。

目の前にあるものを信じ、未来を見ることがなかった大昔。
今はその逆転現象が起きている。
未来を信じ、目の前のことが信じられなくなる。それは虚構を信じることが当たり前になっている。別に悪いことではない。虚構を信じることができるから、僕たちは物語を楽しむことができる。妄想に世界に浸ることは、大昔の人たちはできた人は限りなく少なかったはずだ。ただし、生物としての根源的な欲求は変わっていないように思う。楽して、生きていたいというもの。

大昔の人は、狩猟採集せず食料を得たいと思っただろうし、今の人は一生遊んで暮らせるお金がほしいと考えている。
逆に大昔の人はお金なんていらないだろう。今の人達はどうだろう。一生困らない食料は欲しいと思うけど、お金のほうがありがたがるのではないか?
貨幣の価値が有り続ける限りは、お金を求めます。お金での交換でしか得られないものがこの世界には多いので。




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