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さとゆみライティング道場【東京】2daysを受けて


待ちに待ったさとゆみライティング道場。
案の定、前の晩は興奮しすぎてよく眠れなかった。渋谷の街をドキドキしながら会場までたどり着いて、1番乗り!
目の前にさとゆみさん……。目が霞んでしまう。

頭をフル回転させるような講義とワークショップが満載。
申込者は12名。20代~50代(自分)まで、年齢も職業もバラエティに富む人たちが、「書くこと」に真剣に向き合った。始めは休憩時間に雑談していた人たちも、段々口数が少なくなり、時間を惜しんで課題に取り組むように。

さとゆみさんのすごさ

さとゆみさんは、この2日間のために、私たちの名前を覚えようとしてくれた。これは、お父様の影響のよう。先生だったお父様は、始業式前に、生徒全員の名前とエピソードを頭に叩き込んでいたそうだ。その姿をいつも見ていたさとゆみさんは、仕事に向き合う姿勢を自然に学んでいったという。
お忙しいさとゆみさんが、わざわざ自分の名前を覚えてくれる手間をかけてくれた。その時間がどんなに大変なことか。頭が下がる。

さらに、さとゆみさんは、ライターとして毎日解像度を上げて暮らしている。
懇親会での居酒屋でのこと。
その居酒屋の従業員は全員若くて、元気はつらつと接客している。
さとゆみさんは、「なぜ、人手不足の飲食業界で、こんなに若くてイケメンの人たちが、生き生きと働けているのか」、その秘密を知りたいと思ったそう。もう、これだけで企画になるという。
同じ空間にいながらも、見ている視点が全然違う。

こんな素敵なさとゆみさんと、2日間も一緒に過ごせて、その言動を目にあたりにする贅沢さ。貪欲にその行動からも学びたい。

口下手でも解像度を上げて聞く、書く

その懇親会の席で、ある方が「口下手でもライターになれますか」と、さとゆみさんに質問。さとゆみさんは、「なれますよ。自分ばかり喋る人より、よっぽどいいよ。取材相手から聞き出して、書くのがライターの仕事なんだから」。これを聞いて、私も安心した。

しかし、口下手だとしても、きちんと質問はしなければ。解像度の低いままではいけない。取材相手が口にする、「感動しました」「心に響きました」などの感情だけの一文で終わらせてはいけない。そこを深堀って聞かないと。どんな場所で、いつ、天気は、その場所の匂いは、どんな格好で。映像がくっきりと頭に浮かぶように。

この2日間での私の課題が見えた。それは、自分のフィルターを通して文を書くということ。さとゆみさんに指摘されたのは、「読みやすいが、どこかで見たような文章である」と。
私も他の方と比べてそう、思った。他の方の文章は、ユニークな視点から書かれているのに、自分の書いたものは何だかありきたり。自分のフィルターを通して書かれていない。私のフィルターって何だろう。

娘にも自分の文章を読んでもらった。
娘曰く、「ママらしさが出てないよ。本とか読みすぎて、誰かの文章が乗り移ったんじゃない?」と。
本を読み過ぎて?
違うと思う。私は人の文章が乗り移るほど本を読んでいない。他の人の方が本を読んでいる。私なんか足元に及ばないぐらいに。
では、なぜ、文章に深みがないのだろう。

たぶん、私は何かを見たとき、体験したときに「すごい」「きれい」「なるほど」とは思うけれど、「それがなぜすごいと感じるのか」の先を考えていないのだ。
現象をそのまま受け止めるだけ。感じるだけ。
自分では深く感じているつもりだったが、全然解像度が低い。なぜそう思うのかの「なぜ」が圧倒的に足りない。なぜそう感じる、どのように。書く場合も、具体的に状況を落とし込まないと。風は吹いているか、時間は、肌ざわりは、その場の匂いは……。五感で感じ取って、それを自分の言葉で書く。

もっと「書くこと」がうまくなりたい。そう思うと、自分の書いた未熟なものを出すのが怖くなる。だが、そう言って書かないと、何の進歩もなくなる。
怖くても、自分の文章に向き合っていいきたい。



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