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小学校で習った小説通りになってしまって 自分を責めた

小学校の国語の教材で『くるみ割り』という小説があった。
授業で習ったとき、一部の箇所を読んで、
「あ、私も同じ運命になる」と思ってしまった。
急にそんな考えが出てきて私は焦って必死で打ち消した。

原文のままではないが、
主人公は入学試験後、母親を亡くし、その後入学し新しい生活のおかげでその悲しさを忘れることもできた。ただ母親がいた部屋に入る時以外は、というような箇所だ。

私は必死で打ち消しながらもなぜかずっと気にしていた。

私の母は心臓が悪かった。
詳しいことわからない。
ただ血管が細いということと、定期的に国立病院へ通っていたこと、薬を飲んでいたことは知っていた。
雪の日に発作を起こしたとも聞いたことがあった。
小学生とはいえ、少し気になっていて、今日の夜も会えるだろうか、とさえ考える日もあった。

そんな状況だったのでその小説が引っかかったのだろう。

忘れるようにしながら私は中学生になった。
それでも朝母が仕事を休んで寝込んでいる日は学校から帰るのが不安だった。
「おかえり」の声が聞こえると安心した。

心臓の病気のことをあまり気にかけなくなっていた高校入学式の直前に、母は別の病気で急逝した。

高校の入学式はそのため出席していない。
1週間ほど休んだ後、高校生活が始まった。
それはもう何もかもが新しい。
教科書もカバンも制服も。
小学校の同級生との再会もあったがクラスメイトも新しい。
クラブ活動も本格的に毎日ある。
忙しかった。
これまでより朝は早いし、夜は遅い。
家に帰るとぐったりだった。

ただ、家に帰って母の指の跡の残るハンドクリームを見るとまた悲しさが押し寄せてきた。

ああ、あの小説通りだ。
新しい生活の中で悲しさを忘れ、母の思い出に触れる家に帰るとまた悲しさが押し寄せてくる。

こんなことってあるんだ。
あの時同じ運命だ、なんて思わなければよかった、と思っては自分を恨んだ。

今でもよくない話などは自分と結びつけないよう、深くとりこまないようにしている自分がいる。

いくつになっても未来にたじろぐ私がいる。

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