小さな小さな生きた証
先日ある場所を確認したくてマップアプリを開いていた。
実家の近くだったのでそのまま画面を移動して実家を画像で確認した。
懐かしい庭と窓があった。
今は父もいない。
ふと、画面の下を見ると「8年前」と書かれた画像があった。
開いてみると庭に洗濯物が干されていた。
その干し方は父だ。
思わず微笑んでしまった。
明らかに父がいた証拠だ。
生きた証っていうのはもっと深い意味なんだろうけど文字通り生きていた証だ。
そういえば母が亡くなった後、母が使っていたハンドクリームを使おうと開けると、くっきりと指痕が残っていた。
一瞬手を止めてこのまま置いておこうかと思った。
でもなんだか触りたくなって思い切ってクリームに指を入れた。
なんとなく母を感じることができた気がした。
もう40年以上前なのに覚えている。
母の生きた証だ。
まあ、私がいること自体が父と母が生きていた証なんだけど。
小さな生活の中に感じる生きた証。
マップにはもう一つ写真があった。ちょうど父が亡くなった月のもの。
やはり洗濯物はなかった。