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「できる」から人の役に立ちたいと思う~この夏、人との関わりの中で気付いたこと①~

前職が教員だったこともあり、世の中の子どもたちが夏休みに入った7月末から、これまで一緒にお仕事をさせたいただいていた先生方や学校関係者の方が「退職祝いしましょう!」などとお食事に誘ってくださいます。大先輩から若手まで。大変ありがたいことです。そこに加えて、教員ではない友人とも久しぶりの食事。気づいたらほぼ毎日のように、どなたかと楽しい食事の時間を過ごす夏となりました。

人との関わりは何にも代えられない大切なもの。そして、みなさんと過ごす時間の中でたくさんの気付きを得ることができ、素敵な夏になりました。その記録①です。

25年前、アロマセラピストになる勉強をしていた時、私はマッサージ実習が苦手でした。「マッサージをするよりも、してもらう方が好きだ」と気づいたときには、かなり学びは進んでいましたが(笑)資格はしっかり取ったものの、「私はマッサージをするのではなく、アロマセラピーの知識を教える方がいいかな」などと思ったものです。その時共に学んでいた仲間たちはいつも、「目の前にいる人の凝りをどうにかしたい」「痛みをどうにかしたい」と言っていました。そして、体がバリバリだった当時の私は、そんな仲間たちのいい練習台でした。「なおみのその凝りをどうにかしたい!」…?その感覚が全くわかりませんでした。それ以来、「人の体を癒やそうとする人たちはすごいなぁ」とずっと思い続けてきました。マッサージが苦手という、軽いコンプレックスを抱えながら…

先日、ランチをしながら、その話を作業療法士の友だちに何気なくして、「人の体を癒やそうとする人たちってすごいと思う」と言ったのですが、その時、彼女が言いました。

「それは、(マッサージが)できないからだよ。私はできるから(自分ができることで)人の役に立ちたい、と思うだけ」

当然のことを言っているのかもしれないけれど、それを聞いた瞬間、何だかとてもすっきりしました。そっか。「できること」が、マッサージじゃないだけか!なら、私の「できること」は何だろう。

そのあと彼女と話をしていると、ちょっとした困りごとを話してくれました。あくまでも近況報告の延長だったのですが、いつの間にか、そのことに対する彼女の気持ちやその背景を探っている私がいました。

「カウンセリングは謎解きのようなものだ」と、私の尊敬する(そして私の中では、アイドル並みに大好きな)臨床心理士・東畑開人さんも言っています。私は生粋の心理職ではないけれど、教育職として、かなりたくさんの子どもや取り巻く大人を見てきました。そして、その人たちの関係について多くのケースを見てきたつもりです。その経験を活かしているのか、はたまた、悪い癖なのか、人と少し話をするとその人の謎解きをしたくなります。謎解きを進めていくと、その人が今ひっかかっているであろうところが何となぁく見えてきて、明日元気になるような一歩を探したくなります。

その日もそうでした。深い話なんてするつもりは全くなかったのに、友だちの話を聞いているうちにあれこれ謎解きをしだして、「こうしたらどうか」と提案までしていました。押し付けいきなりカウンセリングをしたにも関わらず、彼女は「話せてよかった」と感謝してくれました。「何かできそうな気がする!」と。友だちのその時の顔、その言葉…

ああ。私の「できること」はこれだった。だからこれで何とか人の役に立ちたいって思ったんだった。だから相談室を開いたんだっけ。再確認。

確かに!
「目の前にある体の凝り」を何とかしたいとは思わないけれど、「目の前にある困りごと」は何とかしたくなる。
特に、日常生活は元気に過ごしているように見える人が持っている、小さな困りごと(本人にとっては大きいのですが)を。そのモヤモヤを一緒に整理して、明日踏み出せる一歩を考えたくなる。
これが「できること」で人の役に立ちたいと思う、ということ。

みんな心のどこかで、人の役に立ちたいと思っています。それが職業になっているかどうかは別として。そのことについて、さらに気づきをもらえたのですが、それはまだ次回。
最後までお読みいただきありがとうございました(^^)

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