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高畑勲の『かぐや姫の物語』を最近になってようやく見た感想

ここ最近、自分の考えをまとめるために宮崎駿の『風立ちぬ』を見た。その時にそういえばまだ高畑勲の『かぐや姫の物語』を見ていないことに気づき、すぐさまレンタルビデオ店に駆け込んだ。もう10年以上前の作品を今更感で感想を書いてみる。あくまで一回見た後の軽い感想を書いてみる。

まずファーストインパクトはあの絵だ。日本画のような仏画のようなタッチで、人物の細かな動きや布などの動きをアニメで表現している。単純な美しさと、現代では見慣れた綺麗なグラフィックのアニメと違う、全く新しいアニメを見たなという感覚だった。

竹取物語という日本の古典が題材なので、あまり詳しくない私にも理解できるか?と不安ではあったが、意外とすんなり腑に落ちた。もちろん、細かく考察するにはそれなりの教養が必要だろう。日本の古典や民俗学などの分野も今後は勉強していきたいと思った。

続いて内容について幾つか触れてみる。
第一に、美しい女性に魅了され破滅する男性というのはよくある題材のように思う。これをリアリティーとギャグの巧みなバランスで描いているようにも思う。男性を魅了するかぐや姫の能力について翁といい大臣といい帝といいそして捨丸(妻子捨丸というあだ名本当に可哀想)、作中の男性は全てかぐや姫の魅力に取り憑かれ、おかしくなる。
第二にかぐや姫の呪いとは何かということ。幸せになれないことが呪いなのか?作中の物語では幾つか分岐ルートがありそうではあるが、どの選択をしても幸せにはなれないのだろうか?そもそも、小さい頃田舎で素朴な生活をしたあの頃に幸せを見出し、それとは違う宮中での生活は不幸せと感じたのだろうか。
第三は因果応報、そして永劫回帰の暗示(あくまで私の感覚)。宮中と田舎は月と地球の暗示かのように、翁は田舎の山をあのような所と蔑むようになる。

この作品は一度見ただけでは全容が分からなかった。内容で触れた箇所は私が面白いと感じた部分なので、今度は細部を丁寧に見ながら考察してみたいと思った。又、宮崎駿の『風立ちぬ』と見比べて感じたことは、女性像の違いで、宮崎駿は理想を、高畑勲はリアルを描いているということだった。

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