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ふるさとの味

ふるさとというと、県北部の山奥の村を思い出す。村の突き当たりにある祖父母の家で、子どものころの私と妹は長い休みを過ごした。

しつけに厳しい母の目が届かないのを良いことに、やりたい放題の毎日を堪能した。今になってみれば申し訳ないことをしたとわかるのだが、体の弱い祖母は、孫のいたずらやわがままに振り回されて、大変な思いをしていたのだ。
 
子どもにもはっきりとわかるほど、祖母は料理が苦手だった。大量の砂糖と醤油で真っ黒になったおかず。しかも早くから作るため、夕飯時にはすっかり冷めてカチカチになっている。元々食の細い私は,ほとんど食べようとせず、祖母を困らせた。

それでもある夜、ゆでたジャガイモを油で炒めたのを私たちが喜んで何度もおかわりしたことがあった。
「そうじゃ、そうじゃ。子どもはこういうのが好きなんじゃ」
祖母は祖父と何度もうなずき合い、実にうれしそうにしていた。だが、その後何日も続けて、ジャガイモの炒め物が食卓に上ったのには、正直、ちょっと困ったのだった。

そして、私にとって最高の「ふるさとの味」はつくしの佃煮だ。春休みの午後、あぜ道を走っていた妹が足を踏み外して落ちた窪地一面に、大量のつくしが生えていた。夢中で摘んで果物かごいっぱいに持って帰ったつくしを、祖母が佃煮にしてくれた。
かさがすっかり減ってぺたんと皿にのっているだけなのが残念だった。それでも、あれほどおいしいものを私はいまだに食べたことがないと思う。
翌年以降も同じ場所に何度も行ったが、つくしはほとんど見つからないままだった。 
この話を夫にすると、
「子どものころのことは何でも美化するもんや。ばあちゃんの料理はいつも醤油で真っ黒けやった。味なんかわかるかいな」
と笑う。その通りとわかっているが、それでもやはり、ほのかな苦みと香ばしく焦げたつくしの食感が鮮明によみがえる気がするのだ。

家でとれた野菜や米はたくさんあっても、他の食材は、週に一度来る行商のトラックが頼りの、不便な暮らしだった。そんな中で、何とか孫を喜ばせようと懸命に工夫してくれた祖母の愛情を思うと、半世紀以上たった今も涙が出そうになる。どんなごちそうよりもあの「ふるさとの味」以上のものはない。

あれほど夢中になった田舎も成長とともにだんだんと足が遠のいていき、祖父母には寂しい思いをさせてしまった。春。今は誰も参らなくなって久しい山奥の墓地をきれいにして、祖父母と両親に手を合わせたい。

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