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映画感想 PERFECT DAYS


ロードムービーがとてもとても好きである。
なので、ヴィム・ベンダース監督作品は大好きだ。
結論からいうと、この映画は私にとって、PERFECTなロードムービーだった。

多少ネタバレが含まれるので、ご注意ください。

TOKYO TOILET PROJECTから端を発した映画であるという情報は得ていたので、監督がトイレを題材に選んだのではなく、先にトイレという題材ありきで映画を作ったということはわかっていた。

東京のトイレ清掃員の話。
題材だけをイメージするに、旅の要素は全くない。
むしろ単に定点を巡る日常を撮ることになる。
なので、ロードムービーの要素は期待していなかったのだが。

トイレ清掃員の平山(役所広司)の日々。
平山は目覚ましをかけない。毎朝決まって聞こえてくる、近所の女性が箒で道路を掃く音で目覚めるのだ。植木への水やり、歯磨き、髭のカット、髭剃り、着替えを済ませ、玄関の定位置に並べられた鍵やフィルムカメラを順番に取り、古いアパートを出る。自販機で甘い缶コーヒーを買い、お気に入りのカセットテープから気分で1本選ぶ。平山の1日は、毎日同じハンコを押したような、完璧なルーチンで始まる。
古い軽バンで移動しながら、東京の街の公衆トイレを掃除して回る。
徹底的に、こだわりをもって、そのトイレごとの特性に合わせて、掃除していく。
早朝から仕事を始めるため、平山はシフトを終えると明るいうちに帰宅する。
トイレ清掃員の作業着を脱いで、自転車で浅草の街に出かける。
銭湯で一番風呂に入って、行きつけの駅中の居酒屋へ行って、一杯ひっかけて帰る。
寝る前に小説を読む。活字を追う目を、まどろみが邪魔してくる。瞼が重くなるころ、遠くに電車の音が聞こえる。歪んだモノクロのユメをみながら、平山の1日が終わる。

完璧な反復により成り立つ、平山の生活。
少ないながら関わる登場人物の動きにより、多少乱されることはあるものの、平山の日常はほとんど同じ軌跡をたどって紡がれていく。

通常ロードムービーといわれる映画は、多くが長距離移動の旅をしている。
その点ではPERFECT DAYSは東京都の限られた地域を、しかも決まった公衆トイレを定点移動する物語であり、物理的な移動距離はない。
しかしながら、観ている私の受ける印象は、ヴィム・ベンダース監督のロードムービーであり、なんなら大好きな「パリ、テキサス」よりも純度の高いロードムービーのように思えてならなかった。
それはいったいなぜだろう。

理由を解くカギとして、私は「旅」とは何かを考えた。
物理的な移動を伴うもの
非日常的な体験をするもの
その過程で自己を探求するもの
そういったものが「旅」なのだとしたら。

平山は、とてもミニマルな「旅」を反復しているのではないだろうか。

毎日同じ行動をしている平山にしか、見いだせない変化がある。
玄関を開けてすぐ、見上げる空の色は毎日違う。
選んだカセットテープが違えば、仕事に向かうドライブのテンションも変わる。
ふとトイレ掃除の合間に見た木漏れ日の美しさ、その光の差し込み方は日々異なる。
トイレの軒下の部分に反射した日光のゆらぎも、また同様だ。
お気に入りの神社の木を日々フィルムカメラで納め、毎日木漏れ日を撮影しているが、同じ写真は1枚もないことを平山は知っている。
毎日を同じように過ごそうとしているのに、他者との関わりによって心乱される日があり、そんなときは知らなかった自分が現れ、あるいは過去に置いてきた自分と対峙し苦しくなる。そして、あらためて自分を見つめてしまう。
東京の公衆トイレを点で結ぶ、ミニマルな移動をしながら。
毎日毎日、平山は「旅」している。

私は、平山の日常に旅の要素を見出し、そこにロードムービーを感じていたのだろう。
ヴィム・ベンダース監督の切り取る東京の街並みと、カーステレオから流れる名曲の数々に、旅のテンションを添えられて。

物理的にもミニマリストな平山が、ミニマルな生活を土台にして、くるくると回る日常を旅する。
「今は今、今度は今度」
ラストの、ニーナ・シモンの「Feeling Good」を聴きながら、名前の付けられない感情を抑えられずに、涙を流す平山がいる。
運転する視線の先には、とびきり美しい朝日が。
そう、こんな美しい朝日は、毎日見られるわけじゃない。
毎日が旅ならば、これはもう、「PERFECT DAYS」だろう。

大好きな監督の作品で、大好きな役所広司さんが主演だからこそ、あえて私なりに残念だったかな、と思う点も述べさせてもらいたい。(恐れ多い)
難解な部類の映画ではあるので、物語としてのわかりやすさ、を加える必要があったのだと思う。
姪や妹との関わりなど、平山の過去を想像させる手掛かりになる要素があえて取り込まれていた。また、行きつけのスナックのママと、その元夫とのエピソードも、平山に人間味を持たせようとしているように思えた。私としては、そのわかりやすさはあまり必要なかったのではないかと思っている。それがなくても、この映画の魅力は損なわれない。平山の過去が謎に包まれていようと、どれだけ寡黙であろうとも、役所広司さんの演技だけで、平山の人間性はすべて語られていると思うからだ。

色々な方のレビューを拝見したが、観る人によって、解釈が違うこと、理解の切り口が異なることから、この映画の難解さと、受け手に解釈を委ねる自由さを感じる。
正解のないところがまた、良い。
しばらく、ヴィム・ベンダース監督作品を観返す日々が続きそうだ。

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