それでも夢はみていたのです

お疲れ様です。気温差が激しい昨今ですが体調は大丈夫ですか?

先週の続きを書きたいと思います。お時間ありましたら読んでいただけたらと思います。


私が会社に中途入社したのは29歳の時でした。

事務職の女性が制服を着ていて、席ででタバコが吸えた時代。平成13年頃ですが、まだ昭和の香りが色濃く残っていました。

同世代の女性の営業仲間がたくさんいて、仕事もランチも飲み会も楽しんでいました。恋バナもたくさん聞きました。

仕事に真面目に取り組む女性社員は営業先でも重宝されていました。社内でも女性の働きは注目されていたと思いました。でも、それは「若い子が頑張っている」くらいのことだったのかもしれません。

そのころは女性の課長職は1~2人くらい、部長職はもちろん一人もいませんでした。女性を集めた社内研修も開催されるようになり、時代が変わればきっと女性が活躍する場が広がると期待していました。

私は社内で初の女性部長になりたいという目標をたてました。

周囲の女性社員仲間が出産、子育てを機に退職していき、女性社員は年下に代替わりしていきました。男性はほとんどそのまま残っていくので同世代の社員は男性ばかりになりました。

多くの男性は35歳で所長、45歳で部長というシナリオですが、女性は40歳を過ぎても所長にすらなれる人はほとんどいませんでした。

1つのポストを女性リーダーが交代するだけで、女性管理職のポストが増えることはありませんでした。

私も一時期所長になりましたが、3年で一般社員に戻りました。

これじゃ20年前と何も変わっていない。。

国は女性活躍を推進しても、会社の中は男性優位のまま、結局何も変わらなかったのです。

その後45歳を過ぎた女性社員は一つの室にまとめられて新規開拓を命ぜられました。どう扱ったらよいかわからなかったのでしょうか。

若い社員の流出は世間的な評価を下げます。若い世代の給料を上げるため、年配社員の給料は月10,000円ずつ毎年減らされました。(これは男女ともに)

「姥捨山」というお菓子をお土産に買ってきた部長もいました。(お菓子はおいしかったです。銘菓です!)

悔しくて、悲しくて、情けなくて、腹が立って。
自分には価値がない人間のように思いました。

こんなところにいたら自分はダメになる。。

女性同僚と何度も話しましたが「お給料もらえるし、独立する才能もないし、定年までここにいるしかないよ」と言っていました。

女45歳、会社定年まで残り15~20年。
こんな気持ちで過ごすのは絶対に嫌だ!!と思い、転職活動を始めました。


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