![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/132465589/rectangle_large_type_2_8788647ef11fa4ed45890d05e09a9856.png?width=800)
【25卒】就活という巨人を作り出したのは自分かもしれない
私は今絶賛就活生である。
去年の6月の私は、ついに『就活生』になるのかと身構えていた。
もちろん親の影響もあり、大企業志向であった。
正確には、大企業に入らないと死ぬ思考だった(笑)
例えるなら、「巨人を駆逐してやる」との強い想いを持ったエレンのようなイメージである。(※つい最近「進撃の巨人」シリーズを見終えたばかりで脳内が浸食されています)
『就活』という巨人を倒すために、あらゆる手を尽くさなければいけない。
モチベーショングラフを書いて、業界研究のために業界地図を購入し、スタンプラリーのようにインターンシップに参加する。OB訪問も行った。
そして友人と遊ぶ日には、罪悪感を抱えながら過ごした。
就活が始まってからというものの、私は私のままでいいなんて思えなくて、完璧な『就活生』になる必要がある気がした。
あれだけ多様性を学んでも、自分の中には落とし込めていなかった。自分の弱みと本音を殺して挑む必要があるように感じていた。
自分自身が多様性のある社会の一員になる覚悟が無かったのかしれない。
そもそも多様性の意味をマイノリティとマジョリティという大きな主語で捉えていたのかもしれない。
就職活動をしながら抱いていた違和感は、
1つのルールや型に押し込められているような窮屈さだった。
記憶に残る学生になるために座談会ではたくさん質問をした。インターンプでは評価される行動を意識した。どの角度から質問を受けても答えられる抜かりない準備をした。SPIも玉手箱もTG-WEBも全ての対策問題集をやった。
とある製薬会社のインターン前日には、
「インターンシップ 高評価 学生」なんてググった。
これが社会人になるということ。安定を得るための道だと気合を入れた。インターンシップが終わり、早期選考の知らせが来た。何も迷う必要はないのに、私は受けなかった。
肩の荷が下りた気がした。全身の緊張感がほぐれた気がした。
2月13日。私の意思で、見栄のための就活を辞めた。
虚栄心からくる内定のための就活を終えた記念日である。
私のように、親や親戚のプレッシャーで就活を重く捉えすぎて憂鬱でどうしようもない学生はどれだけいるだろうか。
むしろ、私の人生はたくさん道があって、それを考える楽しい期間だ
なんてワクワクした学生はどれくらいいるのだろうか?
「見栄なんてどうでもいいか」
そう諦めた私は今、評価される自分であらねばなんて気持ちは少しだけ減った。自分の良さが発揮できる、自分を欲してくれる企業選びに奔走している。
これは私の新たな「就活の軸」だ。完璧に磨き上げた私ではなくても、
ありのままの自分を出せる会社で働きたい。
私も一人一人が輝けるような社会に貢献出来るような人間になりたい。
誰もが持ついい部分を引き出していけるような人間になりたい。
『就活』という巨人を作り出していたのは、自分だったのかもしれない。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
※追記(2024/4/28)
就活を辞めて休学しました。よければ記事見てってください!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?