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帰りに轢かれて死ねばいいのに

前回のおはなし


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「は?、、、、、え?」
「何なんですか、、、あなた。」

奇妙な少年に向かってそう言うと、少年は居住まいを正すかのように、一歩後ずさってTシャツの裾をパンパンと二度はらった。
私は、まずいところを見られたな、と内心焦っていたが相手の挙動が予想以上におかしかったので、なぜだか少し安心していた。

「僕、、、僕はね、蔵野純一くらのじゅんいち。この海の近くの高校に通ってるんだ。」
「で、君は?」

「え?」

「え?だから、、、君の名前は?」

「は、、、なんで私がそんな事言わなきゃいけないんですか?、、、そんな、見ず知らずの他人に。」
「あなたナンパですよね。私別にそういうのいいんで、、、。」

「ナンパじゃないよ。自分がナンパされるのが当たり前みたいに言って、、、なんかおこがましいよ、君。」
「それに、、、人に名乗らせておいて、自分は名乗らないなんて不公平だ。」

「は、、、?なにそれ、だいたいアンタが先に話しかけて、、、、。」

「不公平だよ。」

「、、、、、、。」
「坂、、、いや。」

言いかけて途中で口を噤んだ。
得体のしれない、おそらく普通じゃない少年。万一を考えると個人情報は教えたくない。けれど、このまま無理に押し通したらなんだか私が悪いように見えるではないか。悪くないのに。
だから、適当に思いついた偽名を使おうと思ったのだが。

よく考えたら、私の身にそこまでして守る価値などもうないんだった。


墨田祈すみだいのり。」
「、、、、これでいい?」

「うん。これで公平だね。」
「てか、さっき嘘の名前言おうとしたでしょ。嘘は良くないねぇ。」

「っ、、、は!?なんでアンタにそんな事言われなきゃいけないの?見ず知らずの不審者のくせに。」

「まぁ、僕は君と違って正直者だからね。」

「なにそれ?意味分かんないんだけど。」
「もしかして、アンタは正直者だから通りがかりの人の、、、顔面をなじるのが趣味ってわけ?っ、、、、、馬鹿みたい。」
「だいたい何なのよアンタっ、、、、突然話しかけてきて、、、、、悪口言うし!」

「ハッ、、、、ハァ、ハァ、、、、」

衝動に任せて喋りすぎた、息が苦しい。今日は疲れと日差しのせいでかなり体調が傾いている。

「え?、、、え?大丈夫?顔色悪いけど、、、。」

蔵野は、心配そうに言い、しゃがみ込んで咳き込む私を覗き込むようにしてあたふたしている。
初対面で死んだ魚呼ばわりしといて、死にそうになったら心配してくる。
なんだかまた腹が立ってきた。
、、、違うな、私の感情が不安定になってんだ、、、くそ。ああもう。
折角苦労して海まで来たのに、嫌な気分になってきた。

私は咳き込みながらおぼつかない足取りで、近くの日陰の岩に腰掛けた。

「大丈夫、、、?」
蔵野が駆け寄ってくる。

「来ないでよ。ナンパ野郎。」

「え〜ナンパじゃないんだけど。人聞きの悪い。」

そう言いながらも私の言う事を聞き、砂浜の真ん中で立ち止まっている。

「だいたい、、、だれが明らかに患者服着てる女の子をナンパするのさ!ぜったい普通じゃないでしょ、君!!」

「え?ああ、、、そっか。」

そういえば、病院の患者衣のままここまで来たんだった。道中で色んな人から奇異の目を向けられたのに、すっかり忘れてた。

「だから、僕はナンパ師じゃないよー!!」

蔵野は少し遠くに突っ立って大声で私に話しかけてくる。
人目も構わず紛らわしいことを言われて目立つと困るんだよな。

「確かに、そうだね。やっぱり、、、こっち来ていいよ。熱いでしょ、そこ。」

「あざま〜す。物分りが良くて助かるね。」

蔵野はザスザスと砂を踏み分けながらこちらに駆け寄ってきた。馬鹿みたいに屈託ない笑顔が遠目でもわかる。

「ひぃ〜、熱い。本当熱い。僕も体力ないからさ、熱いの苦手なんだよね。」

蔵野は私から少し離れた地べたに座り込んだ。

「別に嘘つかなくていいよ、すごい日焼けしてるじゃん。」

「いや、熱いのは苦手なんだけどさ、海は好きなんだよね。折角海沿いに住んでるんだから、泳がないと損だよ。」
「それに、さっきも言ったけど、僕は正直者だから、嘘はつかないよ。」

「へぇ。じゃ、アンタには私の目が死んだ魚の眼に見えたってこと。」

「うん。」

間髪入れずにそう答えた。嫌味ない口調なのがかえってムカつく。

「やっぱり嘘は良くないからさ、僕は自分の思ったことは偽らずにきちんと言うことにしてるんだ。」
「だから、海で死んだ目をしてイソガニの足を引きちぎってる人をみたら、話しかけちゃうよね。」

「なにそれ、そんな理由で話しかけてきたの?意味わかんない。」

「あはは、君はまだまだ嘘つきみたいだからね。分からなくってもしょうがないかなぁ」
「まぁ、そんなことよりさ、なんで病院服のままなの?君。」

「え?なんなの突然。」
「これ一着しかないし、この格好で服買いに行っても店員に訝しまれるでしょ?なんか文句でもあんの?」

我ながら、随分と無理のある言い訳だ。
蔵野は私がこんな格好をしている理由を訊いているんだろうけど、面倒なので答えない。

「へぇ、じゃあ丁度いい。」

「え?」

「今から僕が服買いに行ってあげようか?墨田さんの代わりに。」

「何が丁度いいのか分かんないんだけど、、、。」

蔵野は私の言葉を無視して続ける。

「墨田さん、そんな格好で海にいるってことは、”訳あり”なんでしょ?僕が代わりにお遣いに行ってあげるよ。」

「え、、、なんなの急に。」
「、、、ああ、分かった分かった。店に行くふりして私の事を警察だか病院だかに言うんでしょ。」

「違うよ、僕は嘘つかないって。そろそろ信頼してほしいなぁ。」

「アンタに信頼できる要素とか一つもないんですけど。」
「それに、だったら何が目的なの?」

蔵野はすくりと立ち上がった。体育座りで小さく縮こまった身体が急に大きくなった。幾重にも折りたたんだ紙から手を離すとみるみる開いていくアレに似ている。

「訳ありなんでしょ?じゃあさ、お遣いに行く代わりに、訳ありの”訳”を話してよ。」

「は?なんでアンタがそんな事知りたがるの?」

「好奇心。」

「、、、、、、、きっしょ。」

「アハハハ、正直でいいね。」
「じゃ、三十分くらいで戻るから、待っててよ。Tシャツでいいよね?」

了承するなど一言も言っていない、と言おうと思った頃には、蔵野はさっさと歩きだしていた。なんだか今更引き留めるのも面倒くさい。

「通報したら殺すからね!!」

背中に向かって大きく叫んだ。蔵野は振り向かずに手だけひらひらと振った。

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日が高く昇り、気温はその日の最高潮に達する。蒸し風呂の中にいるような暑さ。潮風がなければ死んでしまいそうだ。
海鳥の鳴くテトラポットを眺めながら、蔵野をどうやって殺してやろうか考えていたら、後ろから蔵野の声がした。
本当に通報せずに買ってきたのか。やっぱり普通のやつじゃないなぁ。面倒臭い。

「買ってきたよ〜。」

蔵野は私に自分が着ているような無地のTシャツと半ズボンを渡してきた。

「へぇ、、、どうも。涼しそうでいいね。」
「着替えてくるから、そこで待っててよ。」

「は〜い。」

蔵野に金を払いその場で待たせて、服を替えるためにトイレへ向かった。
患者衣意外の服を着たのは本当に久々だったので、懐かしい肌触りがとても心地よかった。トイレまで行く間にすれ違う人がみんな変な目で私を見るのでヒヤヒヤした。しかしこれでとりあえずは通報を恐れる心配は要らないだろう。
逆に、病院を抜け出してから今まで、よく音沙汰なくここまで来れたものだ。日本人の行動力の無さには感謝しなくては。


「いいね、似合ってる似合ってる。」

蔵野のもとに戻るとまずそう言われた。

「Tシャツは誰にでも似合うでしょ。」

「確かに。」
「まぁ、そんなことよりさ、早く話してよ。訳アリの訳。」

両手を叩いて急かしてくる。うざい。

「なんでそんなに興奮してんの、気持ち悪い。」

「そりゃあ興奮もするさ。きっと僕は今後一生患者服で蟹の足を引きちぎる女の子に会うことはないだろうからね。」

ああ言えばこう言う、鬱陶しい男だ。
つくづく嫌なところを見られてしまった。やっぱり衝動に任せて行動するものじゃないな。

「蟹、、、蟹ね。」
「蔵野純一だっけ、アンタさ、あの蟹は今頃どうしてると思う?」

「?、、、、、まぁ、ハサミ二本だけで頑張ってるんじゃないの?」

「だろうね。でも、足が二本しかないんだから、碌に移動もできない。他の生き物に食べられて死んでしまうのは目に見えてるよね。」
「じゃあ、なんであの蟹はそんなに頑張って生きてるの?もう死ぬことが決まっているようなものなのに。これ以上生きることに意味ってあるの?」

「、、、、、。」

蔵野は少しの間黙って考えるような仕草をした。

「分かんないや。僕蟹じゃないし。蟹の気持ちなんて知らない。」

「あはは、うまく躱したね。私は意味なんてないと思う。どうせ死ぬなら、生きようとしても仕方ない。」
「私は蟹じゃないけど、あの蟹の気持ちがわかるんだ。」
「今の私はあの蟹と同じ。もう死ぬのが決まっているようなもの。」

「というと?」

「想像つくでしょ、患者衣を着てたんだから、私は入院してたの。」
「癌で。」
「初めは胃がんだったみたいなんだけど、病院で検査したときには、かなり転移が進んだ状態でさ。何回も手術してがん細胞を切除したんだけど、追いつかない。」
「今はもう心臓と肺に転移してるから、まぁもう無理かなって感じだね。」

「あぁ〜、、、なるほどね。可哀想だね。」

「はは、ほんとに正直だな。普通は反応に困るところだよ、そこは。」

「やっぱり、嘘は良くないからね。」
「それで、、、墨田さんはなんで患者服のまま海なんかに来たの?」

「、、、、、、、本当なら、今日は手術の予定だったの、、、」

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7月16日

静かな病室には遠くのセミの声もよく響いた。
味の薄い昼食をすするように食べ終える。
病院食はまずいとよく聞くが、まさかここまでとは思わなかった。
本当に味が薄いし、なんか冷めてるし、量も少ない。
暇なのでうたた寝がてら本を読む。
少し目を通したが、すぐに飽きてしまった。あまりにも展開が普通すぎる。これなら私が書いたほうがマシだ。
本を置いて目を閉じようとした時に、病室のドアがスライドして開いた。
三人の大人が中に入ってくる。
私の両親と、私の担当医だ。談義を終えて戻ってきたらしい。

いのりさん。明日は午後から手術ですが、心配しないでくださいね、今までそうだったように、今回もきっとうまくいきます。」

「、、、、先生。」

「はい、なんですか?」

「明日の手術で私の癌は治りますか。」

「、、、、、そうですね、、、残念ながら完治となると明日の手術だけでは厳しいですが、いのりさんの身体への負担は随分と減ると思いますよ。放射線治療の量も減らすことができるので。」

「そうですか。」

何が「今までそうだったように、今回もうまくいきます。」だ。
本当に手術がうまくいってたなら私は入院しなくてもいいんだよ。

いのり、、、父さんや母さんも手術の日は外から見守ってるからな、、、安心しなさい。」
「そうよ。今はまだ完全には治らないけど、このまま根気強く治療を続けていけばきっとまた学校に行けるわ。だから、頑張って、お母さんたち応援してるからね。」

父も母も担当医に付け加えるように私を鼓舞する言葉を投げかける。
だが、私の病は治らない。
もうかなり病状が進行しているので、ここから完治するのはとても難しい。ここにいる全員がそのことはわかっている。
でも、私が安心して手術を受けられるように、こうして限りなく嘘に近い希望を語るのだ。
そこまでして手術を受ける価値があるだろうか。
死期を伸ばすために、失敗したら死ぬかもしれない手術を受けるなんて、なんだか馬鹿みたいじゃないか。
きっと今回の手術も安い金額じゃないだろうに。
先生も、両親も、可哀想な私のために身を粉にして働いている。

優しいから。

しばらくすると両親は出勤するために病室を後にした。
それを見送って担当医の先生も他の患者の元へ向かった。

「また回診の時に見に来ます。何かあったら遠慮せず看護師を呼んでくださいね。」

スライドドアが閉じる。病室はまた私一人の静かな空間に戻った。

「、、、呆れた。ほんとにみんな優しいんだなぁ。私のことを憐れんで、可哀想な子だと思ってるんだ。」
「糞が、、、、上から目線で偉そうに。」
「あいつら、私の心中を勝手に察して共感して、”あの子の心に寄り添ってあげなくちゃ”とか思ってるんだ。きっと。」
「自分はまだまだ生きられるのに、、、可哀想に、、、、って、思ってるんでしょ。」

一人きりの病室にぽつりぽつりと私の愚痴が蓄積していく。
いつの間にか目から涙が流れていた。涙の粒がシーツに沁み込む。

「あんな優しい人達には、一生私の心なんてわからないんだ。」
「明日も毎日が続くって、漠然と信じ切ってるやつなんかに、、、分かってたまるか。」

もちろん私の心配もしてくれているだろうけど、父は残業を終えて帰ると、明日やらなくちゃいけない会議の書類を整理して、母さんは夕食の献立を考えるのだろう。ぼんやりと週末の予定を考えたり、老後の心配をしたりする。

「ああ、悔しい。許せない。」
「私まだ…17歳だよ?」

先生も、両親も、馬鹿みたいに未来を信じてる奴ら全員、許せない。

「父さんも母さんも、先生も、、、、、、、、みんな、、、、、、、」



「、、、帰りに轢かれて死ねばいいのに。」



深く考えたわけじゃない。
まるで抜き打ちテストをすると言われて嫌がる時みたく、ごく自然に私の口から滑り出たおぞましい呪詛の言葉。
小さなつぶやきは、静かな部屋に虚しく響き渡った。







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