中学から大学に至るまで、ノートを貸し続けた人生だった。特に高校時代。 ノートなんて情報が過不足無ければ誰に借りても一緒なはずなのに、私のノートは何故か大人気だった。 理由は、 「字が好き」 「読みやすい」 と、とても単純。 そういや、テスト期間中に家まで押しかけてくるノートファンもいたな。笑 私の字は、特別綺麗ではない。 書道経験も数ヶ月程度。故にほぼ独学。 でも「書くこと」は小さい頃から大好きだった。小学生で短編小説を書いていた位。だから字を褒められるのは、単純に
母から「脳は無限大なんやで。大っきい脳のほんのちょっとしか使ってないねん。」といつの日か教えてもらった。 私の母は高卒で、大卒の人に対し劣等感を持っていた。でも、私は母のことを「勉強家で聡明な女性」だと思っている。 新聞や書籍、沢山の友人から得る情報、彼女は日々沢山の情報に触れ、学び続けている。 そして、得た知識を常に「困っている人の為に」活かして行動している。 そんな母のもとには年末、沢山の人が感謝を伝えに会いに来たり、贈り物を持って来てくれる。 年末年始の我が家
体の凝りも、心や頭の凝りも ほぐすことが大切だねぇ。 1つの考えにがんじがらめになって 頭の中が占拠されて、眠れない。 理由は分かっていても、簡単に解決できない 悩みもあるから難しい。 解決方法が分かっていても、 自分だけがスッキリして、誰かを傷つけたりする方法は選びたくないな。 私の悩みや病気は自分で解決するもの。 特に病気は「自分ごととして考えること」を 主治医に言われてきたし、 実践して少しずつ良くなった。 悩みも自分の中で咀嚼して、凝りをほぐして 又ナチュラル
私には3人、変な友達(先生も含む)が居る。 私が某予備校で勤務していた時代に出会った先生、先輩、アルバイトの子。 世代はバラバラなのに、波長が合う。 とても居心地が良いので、今でも帰省する度に連絡するのはこの方々。 まぁ、とにかく変な人達。家族も含めて個性が強い。私は4人の中では一番まとも(自称)。 4人でLINEしてると、自分が不眠や不安で悩んでいることを忘れられる。 LINEは突飛推しも無く「お疲れさまです。秋ですね。」等と、誰から共なく始まる。 1人はパリに居
と、日々思う。 両親と兄以外の家族や友人に「好きだよ」「大切だよ」と何度言われても、 次の瞬間には「こんな私が好かれる訳ない。今は好きだと言ってくれているけど、そのうち嫌われるんだ」と思っている。 こんな自己否定が無意味なこと、友人達が半永久的に好きだと思ってくれるかもしれないことも理解している。でもこの考えは抜けない。 だから、どんな私でも好きで、その好きを伝えたいと思ってくれている人は月1でいいから「今もまだ好きだよ」とLINEをくださいね。笑 でもね、矛盾して
土門蘭さんの「死ぬまで生きる日記」 出会えてとても良かった。 「やっと救われた」と思った。 私は小学生2年生頃から希死念慮がある。 ある日の授業中に窓際の席から空を眺め、 「小学校ってあと4年もあるんか」 「生きるって面倒くさいなぁ」 と思ったことを覚えている。 その頃は「死にたい」とか「消えたい」 という言葉を発することさえ許されないと 思っていて、 生きることが辛くても逃げ出したくても 母や友人にその言葉を伝えることはできなかった。 今は「おはよう」と同じレベルで
「やる気出ねーなー」と毎日つぶやく。Xはやってないので、心の中のXに投稿。 TwitterがいつのまにかXになっていた。いや「X」って、誰がつけてん。笑 10月末に5年間程、業務委託契約していた会社が解散(実質倒産)する。昨日からは社員さん達の退職手続に奔走。 「なんで業務委託の私が退職手続きせなあかんねん」と文句を言いながらも、 社員さん達にはお世話になったので迅速かつミス無く手続きを頑張っている。 失業保険とか早くもらいたいもんね。週末に終わらせて月曜日には発送だ
頼ること、信頼することは 少し油断すると 依存する、執着するにつながると思う。 私は現状、心身共に不調なことから 家族に「依存」してしまっている。 自身の特性により1つの環境や行動に「執着」 してしまうこともよくある。 「あ、今依存してるな。執着心が強くなってるな」と気付いた時は「いかんいかん」と自分に言い聞かせている。 冷たいようにも感じるが、依存性・執着心が強くなった時には、その人や環境、物事全てから一定の距離を保つようにしている どんなに仲が良い友人でも、家族で
書くことをライフワークにしたい、と 小学生の頃から考えていた。 最初に文章に「触れた!」と感じたのは 小学4年生の頃だっただろうか、 父親の本棚に並ぶ赤川次郎の文庫本だ。 10冊程の文庫本が本棚の左上の隅に、丁寧に1冊ずつ並べられていて「美しいな、読みたい」と思った。 周りの友人がたまごっちやらPHSやらに夢中になっている最中、私は授業中も赤川次郎の小説の続きが気になっていた。 あっという間に本棚の小説を読み切り、そこからは活字という活字にとにかく触れる小学生時代を過