20年ぶりに、"初めて"オペラ座の怪人をきちんと見れた話

遡ること20云年、当時小学生だった私は母が当時買ってきた
「オペラ座の怪人」のDVDにどハマりしていました。

今考えると一体なんであそこまで繰り返し見れたんだろうか…と思うくらいにDVDをつけ、CDを流し、夜な夜な大声で歌って(マンションだったので申し訳ない限り)、歌詞を書き出し、to take your heart back and be freeに「んとぅてぃはーばーびーふりー」という読み仮名を付けて歌っていたような有様でした。

まさかこのタイミングで映画館で観れるとは。

うきうきと3日前にチケットを購入して、(もちろんレイトショーで雰囲気に浸りたい)、少しおめかしをして気分を上げて挑んだのですが

感無量すぎて涙でました

色褪せることない。一生見れる。
少しずつ埃が積もっていた記憶から、シャンデリアが上がっていくシーンで一緒にブワァァァと記憶が蘇る感覚に。ちょっと鳥肌です。

迫力と、過去が色づいていく演出が秀逸で
今見ると「老いた現在」よりも「情熱があった過去」に色彩豊かに色づいていく演出が沁みる。人生の寂しさを覚えつつも首肯しまくり。

事前にXで「クリスティーヌはラウルの遊び相手」だとか、「"ファントムとクリスティーヌの"愛の物語」だとかという考察を見ていて、果たして本当にそうなのだろうか?と、自分の目で感じる全てを掴みにいきました!

ラウルが舞台で歌うクリスティーヌに気がつくシーンで思ったのが、
「『ハンニバル』のシーン前後ではラウルはクリスティーヌに気がついていなかった」ことを考えると、
・その他大勢の中にいるクリスティーヌには気がつかなくて当然
・舞台に立たないクリスティーヌには、ラウルは気が付かない

以前は前者を当然のように受け取っていたのですが、ここに来ると「わざわざ"ラウルは気が付かなかったわ"という台詞がはいってることが意味深に感じられました。
=ファントムあってのクリスティーヌにラウルは気がつく=ファントムとクリスティーヌの二人の関係性は絶対の事項
と解釈できるのかも。

ちなみに鏡からファントムが現れて初めて出会うシーン。
皮の手袋でゆっくりとクリスティーヌに触れるファントムが
いま見てもバカかっこよくてまいった。
めっちゃ後ろ振り返って確認してくれる。可愛い…

カルロッタにいたずらントム

このシーンいま見ると「なぜだよ(何故それが可能なんだ)」という気持ちになるのが愛おしい。
ばりばりのファントムコスチュームのままカルロッタの喉薬を入れ替えちゃうファントム。
そのあとプケーとの空中足場のやりとりでお互い距離があるにも関わらず一瞬フェイントかけてるの愛嬌あります。意味ある?
ちょっとふふってなったんですけど隣の席の人もふふってなってました。

墓地での決闘

クリスティーヌは墓地で「さよなら」をいう勇気をファントム自身に求める歌を歌っていて、= クリスティーヌが求めているのは「暖かくて優しい愛」だということがはっきりと描写されます。
・暖かさと優しさ = 人を殺している時点で、ファントムがそれに該当するのか?
"いまあなたが来てくれれば”という、揺れに揺れているクリスティーヌと、本当にそばにいたファントム。
・父親としての愛(あたたかさと優しさ)から「そばにいる」=物理的なあたたかさ = ”愛”の描かれ方が変わった描写なのか?

ファントムとの物語とするなら、「そばにいたこと」をクリスティーヌにとっての「あたたかさの一つ」と捉えるのでしょうか。
それともクリスティーヌの求めるものとはずれている分、ファントムは許容されない(ラウルを選ぶための伏線)ってこと?

言ってこのあたりでファントムに傾いて欲しいという私欲混じってきてる自分。

ポイントオブノーリターン〜幕

実は2回観にいったんですけど、ここの受け取り方が180°変わったので1回目と2回目に感じた感想をかきます。

1回目

事前に「ファントムを嵌める」計画を立てており、ポイントオブノーリターンが始まった瞬間にクリスティーヌがラウルの姿をみるシーン。
ここがどうしても「合図」に思えてしまい
ファントムの"愛"のポイントオブノーリターン(もう戻れない)
クリスティーヌの"決別"のポイントオブノーリターン(もう決めた)
だと感じました。
と言いましても、クリスティーヌ自身は演技をしながら愛を囁く熱で、だんだん現実と嘘、正しさの境界が混ざり合って、心を持っていかれていく。
橋に登ってからのシーンは力強い歌に魅了/倒錯して「考えていたこととは裏腹に、ファントムの愛と自身の愛を知らず許してしまう」というシーンだったように感じます。

夢心地の中で地下へと進むクリスティーヌとファントム

クリスティーヌとファントムの2人が愛を歌って、だんだんと現実を取り戻していく中で、いいところでちゃんと追っかけてくる素晴らしいラウル。
(絶対ラウルにしときなさい…)とは思うものの、心が引き寄せるものって存在しちゃうんですよね

「あなたを憎む」と歌いながらファントムに捧げるクリスティーヌのキス
人を手にかけることを躊躇わない、真の意味での「あたたかさ」は持ち得ていないファントムに対してクリスティーヌは恐怖を感じ、やっと盲目になっていた愛に対して冷静になる瞬間がやってきました。
今のファントムを絶対に受け入れないという意味での、ファントムへの「まごころのキス」
まごころだと解釈したのは、ファントムは"ラウルを助けたければキスをしろ"と言った訳ではないからなんですが、このあたり三重唱になっているのでそれぞれの感情が交錯する、とても素晴らしくも複雑なシーン(というかクリスティーヌの心境を咀嚼するのが難解です)
ファントムとしても、自身がこれではいけないと思い直したのかもしれないし、クリスティーヌの「否定」を受け取ったのかもしれない。
どちらにせよ去っていくラウルとクリスティーヌを許容するファントムになれて良かったのかな…でも悲しいな…という気持ち。

渡される指輪
"決別のポイントオブノーリターン"の印象が強すぎて、この物語は「ファントムとの決別を覚悟したクリスティーヌ」が話を進めているように見えており、指輪も「ごめんなさい」の意味をこめて丁寧に返されたように感じました。
そしてファントムはクリスティーヌとの繋がりを色濃く残した指輪を持って、後生忘れることなく過ごす。

確か昔に見た時もそんな咀嚼で終わっていたのですが、今回は「決別」を強く意識して観るに至りました。というのも、クリスティーヌがポイントオブノーリターンで「ラウルに視線を送った」のが、物語終盤の大きなポイントだったかと思います。

ラウルを選ぶしラウルへの愛も本物だろうけど、ファントムのいる世界は確かに情熱がある=色がついている
そしてその情熱の存在をラウルとクリスティーヌはお互いに「分かって」最後まで一緒にいたんだろう。
モノクロのシーンはそういう終わり方で納得できそう。

それにしても話も音楽も俳優も良すぎ。

映画館で見れることもそうそうないので、「最高最高」と母をたぶらかして、すっかりその気になった母上を拉致して再度映画館へ。
母上ともウン十年前に一緒にハマっていたので…
あとついでにオペラ座の怪人のCDを発掘した上に愛の力でCDプレイヤーがまた動くようになりました。棚ぼたです。

2度目のオペラ座の怪人

1度目鑑賞の後にパンフレット買っていました。浸りたいが故だったのですが、重要な情報を続々ゲット。
・ポイントオブノーリターンで愛を歌う2人を見て、ラウルは涙を流している (クリスティーヌが本当にファントムを愛していることを知ったから)
・マダムジリーは恋多き女
・怪人はクリスティーヌのキスで初めて「愛と優しさ」を知った
・真実の愛、純粋な愛、ロマンティックな愛を象徴するバラは色を失わない
・クリスティーヌとラウルはお互い「ファントムへの愛(以前に心からの愛があったものの、それは健全ではなかったから貫けなかった過去)」をお互いに理解しつつもそのことには決して触れずに”幸せな家庭”を築くこと。

ここまで確定しました。
先に読めよとか色々あるとは思うんですが、自分の中で咀嚼していたものを長年経ってから答え合わせができた上に、それを踏まえた上でもう一度観れるという贅沢さ!そして何より
いいんですか!?ファントムとの愛ってことで!?!?
そうなんだ…クリスティーヌってふわっとしたままラウルの元に行ってしまったわけではないのか……なんだか嬉しいです…

という訳で、ねじれた解釈をしたことを反省しつつめちゃくちゃ安心して再度鑑賞。(ファントムに幸せになって欲しい)

2度目のポイントオブノーリターン〜幕

ちゃんと「愛を歌っている」のだと認識すると、なんとも穏やかな気持ちで心から力強さとエロティシズムと素晴しさを堪能できるポイント・オブ・ノー・リータン……
ラウルが泣いているのも成程確認できました。
前の鑑賞時、このラウルの涙を私はどんな気持ちでみていたんだ?
私の記憶を"愛"のポイント・オブ・ノー・リターンに修正しました。
え、めっちゃ安心する。
(以前クリスティーヌの”決別”だと思ったハラハラ感も複雑でよかったけど!)

そして地下室のシーンでのクリスティーヌのキス。
「愛と優しさ」がこもったキスなのか…んんしかし周りが複雑で純粋にそれだけを受け取るのも難しい…

と、多少理解が追いつかないながらも、この「次のシーン」を初めてしっかりと認識することができました。指輪のことです。

ラストシーンで薔薇に付けられた指輪の変遷

・『マスカレード』の時に婚約指輪をラウルからもらっているクリスティーヌ
・マスカレードに乱入したファントムがクリスティーヌが首から下げた婚約指輪を引きちぎる
・『ポイント・オブ・ノー・リターン』で指輪はファントムからクリスティーヌに愛と共に捧げられる
・地下室のラストシーンで、クリスティーヌは指輪をファントムに返してからラウルと去っていく

前回は「ごめんなさい」の意で返されたと思っていたんですが。
よく考えたらこの指輪はラウルから「愛の証」としてもらってる指輪で、基本的に指輪自体は「愛情を渡している」描写で使われていることになります。
あれ? クリスティーヌ、ファントムに『愛』を渡していった?
さらりとしているけど、指輪に込められた意味が180°変わって見えて驚愕しました。
それならば、ラストシーンで薔薇に括られた指輪についてもまた「愛を渡す」意味で、ずっとファントムが愛をもっていた証という訳です。

あれ〜〜〜めっちゃラブストーリーになった〜〜

本当に、20数年経ってすっと腑に落ちて、純粋に「愛の物語」としてすごく爽やかな気分で鑑賞終了しました。
指輪に詰まった愛を、1人になるファントムに渡していく。
元々ラウルから貰ったもの(同じ指輪なのか怪しいですが確認できていない)ならば、ファントムに渡さなくても良い訳ですし…。
今までは「ウワー良かった!ウワーファントム!ウワー切ない!」みたいな気持ちで鑑賞後に悶え苦しんでいたんですが、今回はエンドロールが終わってしばし茫然自失。あれ? めっちゃ愛・・・・?

人は受け入れられるとこんなにもまっさら気持ちになるものなのか。
(ファントムに感情移入しすぎて)わだかまりのあった部分が一瞬で溶けて消えたのにも驚きましたが、すごくスッと終わって本当に清々しい気分。

もしかして私はいまやっと「初めてオペラ座の怪人見れた」のでしょうか。
映画館の静けさの中、天を仰ぎました。(気持ちだけ)
こんなにも時間が経ってから、こんなにも見方が変わることがあっていいのか。
あまりにも目から鱗すぎたお話でした。

ちなみにラブ・ネヴァー・ダイはいまだに見ていません。
ジェラルド・バトラー見た後だと、他の怪人を受け付けられないところがありますよね…。

落ち着いた頃に、またいずれ。

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