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自然はかっこいい

先日、本業である訪問作業療法時の利用者さんとの会話。

半年前までお元気に歩かれていたけれど、今は車いす。1日のほとんどをベッドで過ごされている。
自分の手足で車椅子をこいで、廊下を進んだ先の窓から見えるのは大きな山と田んぼ。
2人でしばらく見入ってしまった。
ふと利用者さんの顔を伺うと、ただただ遠くを眺め落ち着いたような、それでもどこか切ないようなそんな表情をしていた。

「自然って、すごいですね。眺めているだけで元気になる、元気をもらいますね、特に今はとてもいい緑。」
すると少し驚いた表情を見せて「いいこと言うね」と。
私からこの言葉が出たのはパン学校の師も、私が勝手に生活の師としている師も、「自然が師」と言っていたからだ。
「なにごとも自然が教えてくれますね、こうやって。」
この地球に存在していること、ただただ自然の中に自分が在ることを無意識下で感じる瞬間の尊さ。それでいい、それで十分なんだ。
何十年生きたって、人は同じ。

窓から見えるお庭には花火見たいなわさわさをつけた大きな木があって
その得体の知れない木の名前を聞いてみると、なんとまあ有名どころの騒ぎではない、「栗だよ」と。
ちょっと待って、30年も生きていて私は栗の花すら知らない!
「え?栗?栗?栗ってあの栗?イガイガの?」
(と、聞いてしまったのは「ドングリ」の前科があるからである。
村上ではイタドリのことを「ドングリ」と言う。ちなみに木の実も「ドングリ」である、私は生粋の関東人なので木の実のドングリしか知らない。困った困った。)
孫くらいの歳の女が驚いているのを見て楽しそうに笑って、そこから山のこと、花のこと、木のこと色々と教えてくれた。
数十分そこで話してまた長い廊下を車椅子で戻っていく。
「もう少し座ってる」
寝室に戻ってからも普段より元気な姿に私も元気をもらう。

自然はすごい。あんなに落ち込んでいたのにまた笑ってくれた。
何もしていない、ただそこに存在していただけなのに。
そして私のちっぽけさを思い知る。
いや、これはいい意味で。清々しい気持ちで。


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