人の存在の理由
私たちは
一人一人が違った運命のもと
誰もが懸命に生きています。
私も生活をするために
色々な様様な公共のサービスを受けています。
ですから
道で働いている作業者の方
病院でテキパキしながら働く職員の方
美味しい料理を賄(まかな)ってくれる
料理店の店員さん。
などなど
社会で働く人たち、
上げてしまえばキリがないほどの人たちを
尊敬し感謝しております。
周囲の人から私の生活が
どう見られているか?
私にはわかりません。
しかし、
完璧に素晴らしい両親とは
思っていませんが
その個性の強い両親の後ろ姿を見て
育ってきました。
その誇りは心の中に
きちんと備わっています!!
私は確かに
守られて、かつ援助され
生活しています。
それでも
「ある人」から気づきを受けて
自分の誇りを持って生きることを
学びました。
(それは他のnoterさんではありません🙇)
決してそこに甘んじることなく
生きてきました。
社会に復帰するために
たくさんの人に助けていただきました。
その一つ一つを忘れていません。
そこで始めたのが
この「note」です。
自分思いを綴るために
自分の経験や(本などで)学んだことを
アーカイブ(まとめること)したりしています。
それらは
自己成長すること。
それに
自分を肯定できるようにです。
私の尊敬する精神科医ヴィクトール・F・フランクルは
「人生の意味を求めるためではなく
人生があなたに意味を求めている」と
言いました。
この言葉は
「自己成長」のために
自分のことにばかり固執する自分に
「未熟さ」を気づかせてくれました。
私たちは
確かに「自己保存」の欲求のために
生きています。
人は社会的な生き物ですから
建前になるかも知れませんが
社会的に「基本的人権」も保障されています。
それでも
決して人は一人では
生きてゆけないと思います。
前述のフランクルは
「世界大戦」の真っ只中で
自分の生きる意味を見つけ出しました。
私たち凡人が
そのような大きな「気づき」に
生涯において、必ずしも
出会えるか?はわかりません。
それでも
私たちもまた辛い現実の中
生きる「気づき」を得るために
精一杯生きています。生活しています。
「人生とは酸化の繰り返しだ」といった
(人間の寿命は体内の酸化にあるとも言われているそうです)
学校の先生に対して
若いフランクル青年は
瞬時に立ち上がり
「では、人間の生きている目的はなんですか!?」と叫びました。
自分の存在の目的から
目を逸らす人を
哲学者のハイデガーは
「ダス・マン」と言いました。
人は不安を感じるゆえに
真の「存在する人」になれるとも
彼は言いました。
再び、フランクルの言葉を
借りれば
生きる意味や
自分の意思に迷うことは、逆にその人の
「人生に意味がある証拠」でもあります。
生きる意味
生きる世界観は
十人十色です。
時に迷った時など
たまには
大空を見つめて
自分の生きる存在の不思議を
感じてみたいものです・・・。
今回は「存在の理由」について
思っていることを書きました。
しかし
本当にそれを1番感じて
いるのは、自分自身ではないでしょうか?
そんな自分を見つめる時間を
「リトリート」と言っても良いでしょう。
最後まで読んで下さり
ありがとうございます。
穏やかで素敵な1日を・・・
おわり
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