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「活字」の存在

私はお金をかけないで
何か情報を仕入れる時は
何故か「新聞」をコンビニで手に取ります。
たったそれだけで
社会の今がわかる。
これは凄いことです。

今日の一面に
「イスラエル」の記事がありました。
イスラエルが攻撃している「ガザ」では
軍の指示で住民が避難しているのです。

かつて
第二次世界大戦で
ドイツのナチに迫害を受けたユダヤ人。
そのユダヤの国、イスラエルが今度は
ガザの人々(住民です)を
攻撃しているのです。

ロシアのウクライナへの攻撃も
未だ終わらず・・・。

広島市は
今年の平和式典の招待状に
「停戦要求」のメッセージを記載して
イスラエルに送るそうです。
これは異例の対応になるそうです。


今、大学生などによる
「読書」離れが進んでいます。
活字を読まない風潮が今の日本にあるのです。

テレビでは
先のような情報はまずわかりません。
ニュースの放送時間に縛られてまで
テレビはましてニュースなど見る人は少ないでしょう。
スマホのニュースアプリで
このような惨劇の記事を見て理解するのも
無理だと感じます。

活字でないと
拾えない知識や情報は
確実にあります。

私たちは日々
面白いことや役に立つことを
求めてスマホやテレビを見ます。
実際私もYouTubeを
見てしまいダラダラ時間が過ぎることも
多々あります。


海外には劇場にも
本を持っていく習慣があるそうです。
別に劇を見ながら本を読むわけではありません。
一種のファッションというかステータスのようなものだそうです。

日本では
暇になるとスマホを取り出します。
何気にスクロールして画面を見て時間を潰します。
しかし、そこには今の社会や世界で
何が起こっているかを拾うことはできません。


以前、新聞の投稿に
「本を読まなくてはいけないものか?」という
大学生の投稿があったそうです。

私はその意見に無理もないと思いました。
それは「活字から情報や知識を汲み取る行為」は
生まれながらにして習得している人はいないからだと思います。

それを自分で「学習」しないことには
本(活字)の価値を知ることは無理だと思うからです。

「本を読む」という行為さえ
次の世代に伝える大人も少なくなっているのでしょうか?

今では「日本」と「アメリカ」が
戦った事実を知らない若い人もいるそうです。
伝える人がいないのです。


活字を読む行為は
面倒なことかもしれません。
しかも、教える人がいないと
その習慣は身につくこともありません。

「読む」という行為は
人間のホモ・サピエンスとしての
存在を支えて来ました。

書かれていることが
全て絶対に正しいわけではありません。
それは読む習慣をつけてから
自分で見抜くしかないからだと思います。

「本を読め」とは誰も強要することはできません。
しかし、活字でないと
現実の世界の様相は拾うことは難しいのも事実です。

「得か損か?」で測っていては
活字は読めません。

「知らない」で
時がただ過ぎてゆくのを
私自身は看過できません・・・。

活字を読む習慣を
もう一度生活の中の一つに
取り戻すことを私は期待したいです・・・。

この歳になって
新聞の価値が少しわかってきた
今日この頃でした・・・。

おわり

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