初めまして。今後の活動、自分自身の生い立ちについて。

閲覧ありがとうございます。
始めに拙い文章になるかもしれませんが軽く自己紹介を。
4人兄弟長男、33歳、バツ1。
家族構成 父死別、母タイ国籍の外国人、父の再婚相手、
次男、三男、四男、再婚相手の連れ子長女。

複雑な家庭環境、貧困、いじめ、生き別れになった兄弟、結婚から離婚、過ごしてきた今までの自分の人生を時系列でここの書き記したいと思い、noteを始めました。


まずは6人家族の崩壊の始まりの両親の離婚から

当時自分は小学校2年生でした。
母は一生懸命日本語勉強していて、その姿に自分も勉学を頑張っていました。
タイ料理を作ることが多かった母でも辛いのが苦手な子供たちを考え、食べやすい味にしてくれていました。
母と夕飯を食べることが多く、父とはあまり夕飯を食べた記憶がないです。
父とお風呂に入った際、タオルで顔を洗ってくれる事が好きでした。


事の始まりは父の付き合いでいく夜遊びから
父は正直まともな職についていませんでした。
俗に言う反社。
小さいながらに覚えているのは刺青の入った人達がよくうちにくる印象しか覚えてません。


特に印象に残っているのが家の引越しの際、父の仲間たちが来て引越し作業手伝っている際、自分は早起きして引越しの手伝いをしていました。
次男が中々起きず、小学1年生の小さい身体なのに反社の頭?の方がいて手伝いをしない次男に腹がたったのか髪を思いっきり引っ張り玄関先に投げ飛ばしました。
自分はそれが怖く、黙って見過ごすことしか出来ませんでした。
父でもそんなことをしないし、そもそも自分の子供なのになぜ何も言わないんだろうと小さいながらに思いました。それ以来父の周辺の人達が怖くて仕方なかったです。


引越しは済み、ある日母が顔面、青馴染や腫れた状態で帰って来ました。
唯一の心が安らげる母がそんな状態で帰ってきたのでパニックを起こし、泣きじゃくってしまいました。
少しすると父と父の反社の頭(次男を投げ飛ばした男)
が家に帰ってきました。
話し合いを始めていましたが自分は母が顔面が酷い状態だったのでまともにいれた状態でわないのを覚えています。
後々に聞いた限りでは母の嫉妬深い性格が、父の付き合いでいく夜遊び等で束縛をしていたらいしです。
それで反社の頭の方がキレて仲裁に入った感じだったそうです。
日本語も母が片言なので上手く伝わらない感じだったんだと思います。


反社の組織は縦社会がすごく、頭の言うことが絶対だったのか自分はよくわかりませんが最終的に離婚という形になりました。


こんな大事な事なのに家庭を守る為に頭には反論してほしかったです。

今回はここまでにしときます。
また時間が空いてるときに続きを書こうと思います。

R6.6.8

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