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自分の捉え方を変えてみた

自認している私の全てをその環境下に提示するのが私らしいのではなく、様々な私が存在しているが、その環境下ではこういう自分が提示されやすいといったようにその環境下でついつい出てしまう、背伸びしないその私が私なのだ。

出し方調節といった自分でコントロールする部分もあるが、意識しなくてもつい出てしまう、そうやって外部に提示された私が私であるならば、人は様々な自分を持っている。だから、一つの環境下でその人の全てを理解したと思ってはならないし、ある環境下で出された自分を全てだと思ってはならない。あくまでも自分の一部にすぎない。そう思えば、新たな環境に臨む時、どんな自分が提示されるのかと自分と出会い直しをさせてくれる楽しさがある。ある環境下での私に自分が納得いかなくても
それが自分の全てではないと思わせてくれる。
自分にはこんな面もあるといったように冷静に自分を見つめやすくなる。
ある一つの世界観に入り込み、物事の視野が狭くなりがちで、自分の中で完璧だと思わないと満足いかなかった自分にとって
生きやすくなったものの見方であった。
私は私を生きにくくさせていたなと。
昔の自分を振り返り思いました。

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