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私は人間関係をサボっている

友人との会話にて。
「○○さんって、かっこいいよね」
「そうだよねー。そういえば、○○さんってきれいだよね」
「そうだよね」
特に、深い会話ではない、何気ない会話だ。だが、かっこいい人、きれいな人を想像したとき、一番初めに出てきたのは、内面での判断ではなく、外見での判断であった。このとき私は、人間関係サボっているなと、ふと思った。人に対して関心が薄いから外見に意識が向きすぎてしまう。
相手の内面だけ見ることが大切だ。外見はどうでもいい。と極端な話に持っていこうとしているわけではない。ただ、全ての他者に対して外見だけに意識が引っ張られ、外見の良さだけで人を偶像化するサボり方は自分は好きではないと感じただけだ。
また、内面、外見に限らず、あらゆるところで私は人間関係をサボっている。
相手のことを知りたいが、そんなに時間はかけられないから、性格診断で相手のことを分かった気になっている。
相手の一面だけ見て、とりあえず相手のことを分かった気になる。それ以上、深掘りはしない。

この姿勢を批判している訳ではない。
ただ、すぐに相手を理解したと決めつけないことは意識しておきたい。

人間は多面性であるから、他者の全てを理解できる訳ではないし、そんな姿勢で全ての他者と向き合っていたら自分が疲れてしまうだろう。
それに、「個」が求められる世界観に身を置いていると、自分の人生に精一杯で他者を正確に理解しようという気力も時間もない。

人間は、忙しいと何かを省略するようになっている。私を取り巻く世界観は私に人間関係をサボらせようとする。
私は、何か他に成し遂げたい物事があって、エネルギーを残して置くため、人間関係をサボっているのか、それとも、ただ、人と向き合うのが面倒になっているだけなのか。
個性や、能力など、「個」としての人生を意識するほど、人間関係をサボろうとする。その個性や能力、「個」としての強みも人間関係のなかで活きるものなのに。

自分ばかりに意識を向けないようにと。内省した私であった。


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