![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/95971983/rectangle_large_type_2_08ca139405d081c54ea68a48555d6876.png?width=800)
子育て。自分が子どもの頃叶わなかったことを自分の子どもがするときの感情はまるで万華鏡だった。
春はお化けみたいな野生のたんぽぽが咲く道を、雨の日はアマガエルを避けながら、冬は雪をかき分けて進む、そんな田舎に住んでいた。
頑固で冗談のつまらない父親と明るい専業主婦の母親と弟。極めて普通の家庭。特別に貧しかった訳ではないけど贅沢は許されずお小遣いもなかった。
可愛いお洋服やキラキラした文具。
同級生の持っていたものがうらやましかった。
代わりに、エレクトーンに通わせてもらったし私も弟も大学は出たので両親としてはメリハリをつけただけだろうと今なら思える。
小学校のとき泣いてお願いしたものがあった。
ひとつは、集英社のまんが雑誌、月刊りぼんだ。
1,2度買ってもらえて、それっきり。
今は630円。当時は500円くらいだったろうか。お年玉は全額徴収されてたけど1割でも使わせてもらえたら買えたかな。結婚したとき貯めてあったお年玉をお祝いでもらったけど、当時500円もらえた方が嬉しかったかもなんて、口が裂けても言えないよ。
もう一つは、ベネッセのチャレンジだ。
当時は赤ペン先生と呼んでいたっけ。
ダイレクトメール広告で小冊子のマンガが届いて、それを読んではクラブと勉強を両立する主人公に憧れていた。
毎年のように、泣いてやりたいと言ったけど一度もやらせてもらえなかった。
住んでいた辺りは学習塾の類はなく、人生で初めて行った塾は大学受験(その時は、ど田舎から片田舎に引っ越してた)。勉強したいという子どもの訴えを退ける親がいるんだね、と笑ってしまう。
翻って。
いま、我が家には、しまじろうの教材、つまり子どもチャレンジが半年分くらい手付かずのまま置いてある。ひょんなことから小学校受験をした息子は、しまじろうをやる時間がなくなって、いつか暇な時やればいいやとそのままにしたらたまってしまった。もちろん、退会済み。
家の棚に眠るチャレンジ教材を見て、これが、あれだけ泣いて頼んでやらせてもらえなかった、あのチャレンジなんだな…と思う。
昔の私にやらせてあげたいな。
今はタブレットでできる教材だってあるんだよ。
以前、noteで、自分が親に買ってもらえなかったものを子どもに買ってあげるとき嫉妬心が湧いて子どものときの自分の傷は癒ぬままというニュアンスの記事を読んだ。ドキッとした。
私は与えてもらえなかった。
そんな感情が込み上げてくるときが私にもあったからだ。
心の中は万華鏡のようだと思う。
恵まれない境遇だと思っていた時もあった。
その時は心の景色がそう見える。
子どもが産まれて、それまで子どもは好きでなかった私がどうしてこんなに子どもが大好きになったんだろう?考えるほど、きっと幼い頃の私は愛をたっぷり受け取っていたんだろうなと思う。愛されて愛し方を学んだのかも、目に見えない贈り物をたくさんもらっていたのかも、と。
そしたら心の景色はそう見える。
またある時。
都内は中高一貫校が多く大学受験準備は6年かけて行うという話を聞いた。私の育った時代と土地では大学受験対策は高校3年の夏から。あまりの差に愕然とした。都内に産まれていたら…与えられなかったというワードがまた頭をよぎる。
そしたら心の景色はそう見える。
こんな気持ちを記事にして投稿したら、きっとおすすめにあがってくる新しいnoteとの出会いがある、そしてまた景色が変わる。
どの景色がよいとか悪いとか、ジャッジしなくてよいんだろうなと思う。
どんな色が好き?の答えが黒でも、赤でもピンクでもいいじゃないか。
そして景色はすぐ変わる。
いや、変えられる。
たとえ過去はかえられなくても。
自分の見たい景色を見に行こう。
そう思う。
おわり
♪♪♪
小さい頃のロマンを大人で追体験するのもよさそうです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?