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子どもの成長記録。出来たことに目を向ける、わかっていたつもりなのに、わかっていなかった。

もし子どもができても、子どもを叱り続ける親にはなりたくないなとかつて思った。

叱り続ける状態は、下痢に似てる気がする。
出し終えるまで終わらない。
その行為が叱る側の都合と事情で成り立っていて、叱られる側が不在になっている。

思春期に、襖一枚隔てて母親が突然私を叱り続け私がこっそりそこから立ち去ってもまだ叱る声が遠くに聞こえたときに、そう思った。

ところが!

人間とは愚かな生きものである。

日曜日の夕方、私は息子に叱り続けるモードになりかけていた。

「あ、これ、いつまでも叱っちゃう仕組みだ」と思って、必死で抜け出したくて、もがいていた。

「宿題やりなよ」
何度も促すも、ちっとも終わってない。

「練習やりなよ」
何度と促すも、練習不足のまま習い事へ。
案の定、散々な状態だった。

宿題に関しては、もう日曜、日も暮れかけている。こっちも余裕がない。  

促してやらないことは、おそらく、何かにつまづいている。サッサとやり始めないのは理由があるのだ。それは分かっているし、共感もする。しかし、始めないからには終わりもしない。やり終えたら自信がつくはず。

私が怒ると始めようとはするが、うまくいかないとたちまち息子はキレ、私に悪態をつく。更に、私がサポートしたり助け舟を出そうとすると、それと気に入らないとか屁理屈で更に反抗する。なのに「自分でやって」と放置すると難癖をつけたり、うまくいかないと荒れる。

そして、全然進まない、そして、時間が経過しても進まない状況に親子で苛立つ悪循環。

うまくいかないことを人のせいにするなんて最悪だ。こちらも怒りではらわたが煮えくりかえる。しかも、なぜ、うちの息子はこんなに出来が悪いのだろう、と暗い気持ちになる。

本当は、息子本人だって、「うまくなりたい」「早く終わらせたい」と思っているはずなのに、こちらから見ると「やる気がない」にしか見えない。

そうこうしているうちに「なんでいつも、いつも、言うことを聞かない?!」「なんでみんな普通にできることがうちの子にはできない?!」などと、今、目の前に起こっていることではないことを怒りの対象にしてしまう。

そして、目の前に繰り広げられる惨状に絶望する。

楽しくない。

「あ、私、今、怒りに飲まれてる。口を開いたらまた怒ってしまう」

分かっているのに止められない。

こんなとき、親子とも、怒る理由が増幅されている。親は親で怒りが止まらないし、子は子でイライラが止まらない。

私は耐えた。耐えて耐えて、「子どもの言いなりでいいのか」「叱り方が緩いのではないか」「もっと効果的に終わらせられる声の掛け方があったのでは」、様々な疑問が頭の中を巡る中で葛藤すること40分。

「終わった…!!!」

私は息子に叩かれながら、怒りの怪物に半分飲まれながら、息子は泣きながら、怒りでテーブルの脚にぶつけた足の痛さを訴えながら…

消しゴムカスと書き直しでボロボロになった宿題紙を呆然とふたりで眺めた…。

たったこれっぽっちのことに、どんだけの労力と時間をかけているのか。

私は情けなくて悲しくて悔しくて涙が出る。

息子もまた涙を流して、笑顔でどーでもいい話をしてくる。うるさくて憎たらしくて恨めしいけど、なぜ笑顔なんだろう?宿題が終わったのが嬉しいから?まさか、私がほっとしたのが分かったから?!

私は思い返す。

習い事の練習をせずに散々だった息子に「練習しなかったのなんで?と聞いたら「あれくらいなら練習しなくてもイケると思って。でもだめだった。」と返ってきた。案外、図太いやつである。自信のない私はそういう根拠のない自信がうらやましい。

宿題は、連絡帳に書いていない内容だった。
授業でやりきれなかったものを先生が宿題に回したとのこと(連絡帳は朝書くので、授業で宿題が出るとこうなる)。自力で日曜夕方に思い出しただけでもえらいじゃないか?
記憶力のない私は記憶力のある人が羨ましい。

態度が悪かったりサッサとやらない息子の悪いところは正す必要がある。けれど、そこばかりに目が行って、そればかり考えて叱って、すっかり忘れていたことがある。

息子は、ゆっくりでも進んでいる。

悪いこともいいこともあるけど、前に進もうとしている。
ならば、「進んだ」ことに目を向けたほうがいいんじゃないか?

そんなこと、ずっとわかっていたはずなのに。

習い事に行ったときのことを想像したこと。
私が存在を知らない宿題をやろうとしたこと。

きっと、息子の中で親に言われたことをただやる時代は終わった。自分でやることを考えて、やろうとして、出来ないことに葛藤する時代が始まったんだ…。

そしてもっと重大なことに気がついた。
息子は変わろうとしている。

私に言われてほいほいやっていた時代は終わって、自分の世界の中でやることを決めてやる時代になったのだ。

(私が親としてダメなのが恥ずかしいけど、自立、遅いかも!?)

きっと、私は視点を変えないといけない。

私に言われてできたことを褒めるんじゃ、もうだめなんだと。

出来高が悪くても、息子が「自分でやろうとしたこと、そして、出来たこと」を褒めないと。

これからは、出来たことに目を向けよう、それも、私に言われてやったことじゃなくて、息子が自分の頭で考えてやろうとしたことに一層目を向けようと。

また一歩、息子は私から遠いところに行ってしまったのかも。

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